オルフェオ と エウリディーチェ。 オルフェオとエウリディーチェ

オルフェオ (モンテヴェルディ)とは

オルフェオ と エウリディーチェ

回答先: 投稿者 中川隆 日時 2019 年 10 月 19 日 08:22:18 グルック オペラ 『オルフェオとエウリディーチェ』 Gluck - Opera Orfeo ed Euridice, Wq. グルックのオペラの中で最も有名な作品である。 グルックは1741年に、メタスタージオの台本によるオペラ『アルタセルセ』(現在は紛失? )によって、オペラ作曲家としてデビューを果たす。 イタリア国内で8作ものオペラを発表したのち、ロンドンに招かれ、同地でヘンデルと親交を結んだ。 1750年に結婚したのち、1754年にオペラ『中国人』を発表して大成功を収め、これにより宮廷音楽監督の称号を得た。 『オルフェオとエウリディーチェ』は1762年に作曲された。 台本作者のラニエーリ・カルツァビージと共にオペラ・セリアの改革に乗り出し、オペラ改革理論を実践で示した最初の作品である。 同年、神聖ローマ皇帝フランツ1世の霊名日に当たる10月5日にウィーンのブルク劇場で初演された。 音楽劇の改革理論に基づいて作曲されたもので、初演当時から大成功を収め、グルックのオペラの代表作となった。 このオペラによって、ベルリオーズやワーグナーらに多大な影響を与えた。 1774年パリ版 『オルフェオとエウリディーチェ』には2つの版が存在し、ウィーン版(Wq. 30、ウィーン原典版とも)とパリ版(Wq. 41)と呼ばれている。 上記の1762年にウィーン宮廷劇場で初演されたのがウィーン版であるが、パリ版は1774年8月にパリのオペラ座での上演に際して改作したものである。 パリ版にはバレエ曲やアモーレの最初のアリア、フルート独奏の「天国の野原」(いわゆる「精霊の踊り」)の場面が追加されている。 またフランス語台本は詩人のピエール・ルイ・モリーヌがイタリア語台本から翻訳している。 パリではカストラートが好まれなかったことから、オルフェオ役はオート・コントルに変えられ、歌や器楽曲が増やされて、作品全体の規模が大きくなり、オペラ座の大編成のオーケストラを十分に生かすように手が加えられた。 精霊の踊り 「精霊の踊り Reigen Der Seligen Geister」(または「精霊たちの踊り」)は、オペラの第2幕第2場で天国の野原で精霊たちが踊る場面で演奏される有名な楽曲で広く知られている。 のちにヴァイオリニストのフリッツ・クライスラーがヴァイオリン用に編曲し、「メロディ」というタイトルで作曲したが、これも知られている。 ピアノ用の編曲はジョヴァンニ・ズガンバーティとヴィルヘルム・ケンプによる二つが一般的に演奏会で使用される。 中間部に哀調を帯びた旋律をもつ3部構造の清楚で優雅な趣をもっており、旋律はオペラから独立してフルートの曲として現在も演奏されている。 短調部分のみを演奏した歴史的録音としてマルセル・モイーズのものが知られており、晩年に日本での公開レッスン 1973年 でも採り上げられている。 原作と台本 ギリシア神話のオウィディウスの「転身物語」(または転身譜)第10巻第1章と第11巻、及びウェルギリウスの「農耕歌」第4篇に基づく。 台本はラニエーリ・カルツァビージ 登場人物 エウリディーチェ(ソプラノ)、オルフェオ(ウィーン版はカストラート、パリ版はオート・コントルで初演時はテノール。 現代では、カウンターテノール、バリトン、メゾ・ソプラノが多い。 )、愛の神(ソプラノ) あらすじ 第1幕 月桂樹と糸杉の木立がエウリディーチェの墓を取り巻いている。 オルフェオは友人と共に妻エウリディーチェの死を悼んでいる。 オルフェオは泣き崩れ、「エウリディーチェ」と悲痛な声をあげる。 絶望のあまり妻を連れ戻しに黄泉の国に下がると神々たちに言う。 そこに愛の神が現れ、オルフェオの嘆きに心を動かされたゼウス神たち神々は憐れみ、彼が黄泉の国に行って妻を連れてくることを許すという。 ただし愛の神は、彼の歌によって地獄の番人たちをなだめること、そして何があっても決してエウリディーチェを振り返って見ないことが条件である。 もしオルフェオが自分の事態を説明しようとしたり、振り返ったりすると彼女は永久に失うという。 オルフェオはこの難しい試練に挑み、黄泉の国へと向かう。 第2幕 第1場、洞窟の入口 嘆きの川の先におどろおどろしい洞窟の入り口に、復讐の女神や死霊たちが踊っている。 復讐の女神たちはオルフェオを恐ろしがらせようとして、地獄の入り口で彼を押しとどめる。 オルフェオは勇気をもって竪琴を取り、甘い歌声で彼女たちを静め、オルフェオに道をあける。 そして復讐の女神や死霊たちは静かに消えて行く。 第2場、エリゼの園(エリシウムの楽園) エリゼの園でエウリディーチェは妖精と共に、エリゼの園の静けさと平和を讃えて歌っている。 その時オルフェオはエウリディーチェを発見し、オルフェオはエウリディーチェの姿を見えないようにして手を取り、地上へと向かう 第3幕 第1場、薄暗い洞窟の迷宮の中 オルフェオがエウリディーチェの手を引いて上がって来る。 エウリディーチェは初めのうちは喜んでいたが、オルフェオがすぐに自分の方に見ようとしないことに不審を抱き、ためらう。 エウリディーチェは夫の愛が冷めたのではないかと怪しんで、それ以上夫について行こうしなかった。 絶望したオルフェオは耐え切れず、エウリディーチェの方を振り向いてしまう。 そのとたん、エウリディーチェは倒れて息絶える。 オルフェオは嘆き、そして短剣を取り上げて自ら自殺を決意する。 その時、愛の神が現れ、彼を押し留める。 愛の神は「お前の愛の誠は十分示された」と告げ、エウリディーチェは再び息を吹き返す。 2人は喜んで抱き合う。 第2場、地上の愛の神の宮殿 オルフェオが羊飼いやニンフたちと共に愛の神に感謝し、羊飼いやニンフは踊りを捧げる。 エウリディーチェも愛の神に感謝し、全員が愛を讃える。 wikipedia. 今日は、その中でも「オペラの改革者」といわれる、18世紀のドイツに生まれ、オーストリアやフランスで活躍した作曲家、クリストフ・ヴィリバルト・グルックを取り上げましょう。 曲は、大変かわいらしい、「精霊の踊り」という曲です。 「精霊の踊り」は、彼の代表作、オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」の中の1曲、間奏曲として作曲されたものですが、現在では単独で器楽曲としてよく演奏されます。 マリー・アントワネットの先生を務める 1714年、現在はドイツ、その当時は神聖ローマ帝国内だったバイエルンに生まれたグルックは、当時は同じ帝国内のプラハに学び、音楽家を志してからは、南はイタリアから北は英国まで広く、欧州を旅します。 旅のあと、ウィーンに腰を落ち着けたグルックは、マリア・テレジアが実質統治する宮廷の楽長の地位につきます。 ローマでは、教皇ベネディクト14世の御前で自作のオペラを上演して称号を賜わり、この時期からグルックの活躍は目覚ましいものとなります。 彼は、宮廷の子女にも音楽を教えたので、マリア・テレジアの娘であるマリア・アントーニア、フランスに輿入れしてマリー・アントワネットとなった彼女の先生でもあります。 アントワネットが優秀な音楽家だったのは、グルックの教育の賜物、と言われています。 グルックが、「オペラを改革」したという事実には、たくさんのことが含まれているため、すべてを書ききることは難しいのですが、そのころ、オペラの発祥の国であり、当時も最先端だったイタリアのオペラは、歌手の名人芸を披露することを第一に考えた作品が作り続けられていました。 その分、ドラマや音楽の流れが不自然だったのです。 それをグルックは、筋書きや音楽がより自然に流れるようにし、芝居の流れのためには、個々の歌手の超絶技巧の披露を制限さえするという方向性を打ち立てました。 オペラが、単なる歌手のテクニック披露の場ではなく、一つの音楽演劇として、意義のあるものにしたのが彼の「オペラ改革」の大きな部分です。 もちろん、これは拒絶反応も生み出し、マリー・アントワネットに従って移ったフランスでは、守旧的な作品を作り続ける作曲家との対立を、周囲にあおられています。 勇気をもって新たなシンプル・スタイルを提案 「オペラの改革」で、以後に続く本格的なオペラへの道筋をつけたグルックですが、オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」の幕間のダンスの時に流れる「精霊の踊り」には、もう一つ特徴があります。 ハーモニーとも言いますが、他の音楽ジャンルでは、コード進行といわれる和音の種類が、とても少なく、単純なのです。 それ以前の作曲家、例えば、J. バッハやヘンデルなどのバロックの作曲家が、人間の感情の憂いや悲しみを表現するために、実に多彩な和音を駆使したのと、それは対照的でした。 特に重要とされる3つの和音・・・専門的には「1度の和音」「4度の和音」「5度の和音」といったりしますが・・・・で、曲のほとんどをつくっているのです。 結果、この曲は、非常にシンプルで、聞きやすいものとなり、また、ハーモニーが無駄に複雑でないために、その上に載っている旋律に集中することができます。 一見、たくさんの和音を駆使し、時にはネガティヴな感情を描くことさえ辞さなかったそれ以前のバロック音楽に対して、退歩のように見えますが、グルックなどの「古典派」の人々は、当時流行していたフリーメーソン思想(グルックも、モーツアルトもメンバーでした)の影響などもあり、音楽の調和を大事にしたのです。 そのもとに作られた音楽は、秩序があり、聞きやすく、誰にでも受け入れられる音楽となっていったのです。 それは、現代のクラシック以外のポピュラー音楽の遠い先祖、といってもよいかもしれません。 事実、バロック時代のバッハなどは、今そのまま聴くと難しさと時代の隔たりを感じますが、グルックとその同時代の人たちのいわゆる「古典派作品」は、古めかしさこそ感じるものの、現代人の我々にもすぐなじむ音楽的構造を持っているのです。 同時に、この時代の音楽は「ほがらかさ」を持っています。 ハイドンやモーツァルトの作品が、明るい「長調」の作品が多いことにもつながりますが、まだ芸術家は自我よりも、「人を楽しませること」を目的に作曲していた時代です。 「精霊の踊り」は、ヴァイオリンの名手にして作曲家でもあったF. クライスラーがヴァイオリン用に編曲したり、またはピアノ伴奏を伴うフルートで演奏されることも多く、グルックの作品の中で今日もっとも耳にする機会が多くなっています。 そのシンプルな響きに耳を傾けると、複雑なものを整理することによって「改革」を成し遂げた、グルックの卓越した美意識を感じることができます。 進化すると「複雑」になりかねない芸術の中にあって、勇気をもって新たなシンプル・スタイルを提案したグルックは、だから「改革者」と呼ばれているのです。 本田聖嗣プロフィール 私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。 在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。 仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。 オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。 演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。 日本演奏連盟会員。 : : [-1076] クリストフ・ヴィリバルト・グルック(Christoph Willibald von Gluck, 1714年7月2日 - 1787年11月15日)は現在のドイツに生まれ、現在のオーストリアとフランスで活躍したオペラの作曲家。 バレエ音楽や器楽曲も手懸けたが、現在では歌劇《オルフェオとエウリディーチェOrfeo ed Euridice 》によって、中でも間奏曲〈精霊たちの踊り〉によってとりわけ有名。 オペラの改革者として歴史に名を残す。 ただし、ドイツ語オペラは1作も書いていない。 生涯 バイエルン・オーバープファルツのエラスバッハ Erasbach(現ドイツ)出身。 父親はボヘミア系の貴族ロプコヴィツ家に仕える林務官だった。 すぐにボヘミアに引っ越し、18歳の時プラハ大学で音楽と哲学を学ぶ。 1741年に最初の歌劇《アルタセルセ Artaserse 》を作曲し、大量に舞台音楽の作曲を始める。 この時期の作品は、かなり保守的なイタリア語のオペラ・セリアであった。 1747年にはバイエルンとザクセンの両選帝侯家の結婚を祝うオペラ・セレナーデ《ヘラクレスとヘベの結婚》を作曲しドレスデンで初演した。 1754年にヨーロッパ中を広く旅して、マリア・テレジアの宮廷楽長の地位を得、ウィーンに定住する。 1756年にローマ教皇ベネディクトゥス14世により、黄金拍車勲章を授与され、これ以降は「騎士グルック(独語:Ritter von Gluck 、仏語:Chevalier de Gluck )」の称号を用いた。 ウィーン滞在中に、最も有名なバレエ音楽《ドン・ジュアン Don Juan 》(1761年)と、代表作の歌劇《オルフェオとエウリディーチェ》(1762年)を作曲した。 これらはいずれも様式上の変化を表しており、その頂点は歌劇《アルチェステ Alceste 》(1767年)において全面的に示される。 この作品では、オペラの新しい様式についてのグルックの考え方が表面上に展開されている。 出演するスター歌手よりも作品が重視され、レチタティーヴォはセッコを取り除いて、すべて、劇的に構成されたレチタティーヴォ・アッコンパニャートにして演技に割り込まないようにするというのがグルックの考えであった。 それが、オペラ改革につながった。 その結果生じた、より流麗で劇的な作曲様式は、リヒャルト・ワーグナーの楽劇の先駆と看做されている。 しかしながらグルックのオペラ改革は、作曲者の生前は議論の的であった。 1773年に、音楽教師として仕えていた皇女マリー・アントワネットに従い、パリに移る。 一方はグルックの新様式を褒めそやし、もう一方はグルックを悪し様に罵り、より伝統的なニコロ・ピッチンニの歌劇を支持した。 二人の作曲家同士が論争に巻き込まれることはなかったものの、グルックが作曲中であると知られていた台本に、ピッチンニが作曲するよう依頼されたことが知れ渡ると、グルックはそれまで書き溜めていたものをすっかり破棄した。 グルックはパリ公演に向けて《オルフェオとエウリディーチェ》と《アルチェステ(英語版)》の2作を改訂し、元のイタリア語からフランス語へと翻訳した。 より小規模な作品の作曲を続けたが、ほとんど引退したも同然だった。 1787年にウィーンで他界し、ウィーン中央墓地に埋葬されている。 35曲ほどの完成されたオペラと、いくつかのバレエ音楽と器楽曲がある。 ベルリオーズはグルックの心酔者であり、重要な影響を受けている。 主要作品 オペラ アルタメーネ Wq. 4 Artamene,1743 - 3幕のオペラ 奴隷の娘 Wq. 6 La finta schiava,1744 - オペラ・セリア、数人のパスティッチョ 巨人の没落 Wq. 10 La caduta dei giganti,1746 - 2幕のパスティッチョ ヘラクレスとヘベの結婚(英語版) Wq. 12 Le nozze d'Ercole e d'Ebe,1747 - オペラ・セレナーデ エツィオ 初版 (英語版) Wq. 15 Ezio,1749 - 3幕のオペラ 神々の闘い Wq. 14 La Contesa dei numi,1752 - 2幕のオペラ 皇帝ティートの慈悲(英語版) Wq. 16 La Clemenza di Tito,1752 - 3幕のオペラ 中国の女たち(英語版) Wq. 18 Le Cinesi,1754 - 1幕のオペラ メルラン島、または逆世界(英語版) Wq. 23 L'isle de Merlin, ou Le monde renverse,1758 - 1幕のオペラ・コミック 包囲されたシテール 初版 Wq. 26 La Cythere assiegee,1759 テティデ(英語版) Wq. 27 Tetide,1760 - 2幕のオペラ 欺かれた回教の裁判官(英語版) Wq. 29 Le Cadi dupe,1761 - 1幕のオペラ・コミック 予期せぬ邂逅、またはメッカの巡礼者たち(フランス語版) Wq. 41 Orfeo ed Euridice, Wq. 41, 1774 Paris - 3幕のドラマ・エロイコ 冠(英語版) Wq. 35 La corona,1756 - 1幕のファルサ azione teatrale プロローグ Wq. 36 Il prologo,1767 パリーデとエレーナ(英語版)Wq. 39 Paride ed Elena,1770 - 5幕のオペラ・セリア 包囲されたシテール 改訂版 (フランス語版) Wq. 43 La Cythere assiegee,1775 - オペラ・バレエ オーリードのイフィジェニー(英語版)Wq. April 1774 トーリードのイフィジェニー(英語版)Wq. 46 Iphigenie en Taulide,1778-79 - または『タウリスのイフィゲニア』。 4幕のオペラ アルチェステ(英語版)Wq. 51 L'orfano della China,1761年初演 - 偽作 ドン・ファン Wq. 52 Don Juan,1761初演 - パントマイム 包囲されたシテール La Citera assediata,1762初演 - 3幕のバレエ。 26のバレエ版 音楽は逸失 アレッサンドロ Alessandro,1764初演 - または『アレッサンドロとロクサーヌの愛 Les amours d'Alexandre et de Roxane 』 セミラーミデ Wq. 56 Semiramide,1765初演 - 1幕のバレエ 管弦楽曲、協奏曲 行進曲 ト長調 作曲年不詳 17のシンフォニア 作曲年不詳 フルート協奏曲 ト長調 疑作の説あり 室内楽曲 6つのソナタ 6 Sonatas,1746年出版 - 2つのヴァイオリンと通奏低音のための 2つのトリオ・ソナタ 2 Trio Sonata,作曲年不詳 - 2つのヴァイオリンと通奏低音のための 宗教曲 深き淵より De profundis,1787年出版 2つのモテット Motets,1779以前出版 世俗声楽曲 讃歌と歌曲 1773〜85頃 - 全7曲、F. クロプシュトックの詞 若者 1775年出版 死への讃歌 1783 夏の夜 1785出版 クリストフ・ヴィリバルト・グルック 3. youtube. 5 September 1951, at Schiller Theater, in Berlin Live Recording 4. : : [-1062]• パスワードはメモすべし。

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《オルフェオ》(おるふぇお)とは

オルフェオ と エウリディーチェ

概要 [編集 ] 16世紀末にのを主体として新しい様式の歌唱を主体とする音楽劇が考案され、の『ダフネ』(部分的に残る)および『』(1600年初演、現存する最古のオペラ作品)、の『エウリディーチェ』などが作られた。 『オルフェオ』はモンテヴェルディが公爵に仕えていたときの作品で、オペラあるいは音楽劇(ドランマ・ペル・ムジカ)としては6番目の作品にあたるが、劇音楽自体はオペラ以前から存在していた。 たとえばは大規模な舞台装置とオーケストラを使用していた。 ほかに(インテルメディオ)もあり、式のもあった。 モンテヴェルディはこれらのさまざまな形式すべてに精通していた。 『オルフェオ』の音楽は多種多様な要素のほとんど無節操といっていいほどの混淆物であり、カメラータによるモノディ形式のみでなく、羊飼いたちの合唱に見えるの形式、名人芸的な歌曲など多彩な形式を用いた。 和声法は大胆であり、また歌と踊りを結びつけ、カメラータの形式とは異なるも許容している。 これによってモンテヴェルディはモノディによる音楽劇を後世のオペラに近いものにした。 『オルフェオ』にはダ・カーポ・アリア、有節歌曲、、劇的なモティーフを伴った楽器法、レチタティーヴォなど、後世のオペラに用いられる形式やその可能性がすでに示されている。 しかし後世のオペラと異なる点も少なくない。 合唱の多用は大きな特徴であり、いわゆるバロック・オペラが個人の歌唱を中心としているのと異なる。 2幕以降の各幕は大規模な合唱で終わる。 またシンフォニアなどの純粋な器楽曲も多用される。 ペーリの作品が今や名前が知られているだけといって差しつかえない状態であるのに対し、『オルフェオ』は実際の上演に耐えうるという意味で最初のオペラと言うことができる。 『オルフェオ』が作曲された当時「オペラ」という語はまだ存在しておらず、モンテヴェルディ本人はこの作品を「 音楽による寓話」 favola in musica と称している。 はマントヴァの宮廷書記だった アレッサンドロ・ストリッジョ ()(息子の方)によって書かれた。 初演 [編集 ] マントヴァ公爵邸の建物 正確な初演状況は不明な点も多いが、1607年2月24日のの日にマントヴァの公爵邸(パラッツォ・ドゥカーレ)内で、アッカデーミア・デッリ・インヴァギーティのメンバーたちを前に上演されたと考えられている(初演日は資料によって数日異なる日とされることもある)。 初演が成功であったことは明らかで、マントヴァ以外に、、でも上演された。 また1609年と1615年に正式な総譜が出版された。 出版された楽譜には公子への献辞がある。 2回も印刷されたことは並外れた成功を物語る。 『オルフェオ』はモンテヴェルディの生前に出版された唯一のオペラだった。 なお、初演時のストリッジョによるリブレットと出版された総譜では結末がまったく異なっている。 リブレットではオルフェオがバッコスの巫女たち()から逃れ、巫女たちの合唱で終わっていた。 しかし出版された楽譜ではが出現してオルフェオを天上に引きあげる。 20世紀の復活上演 [編集 ] モンテヴェルディの死後、17世紀後半にはその作品は忘れ去られた。 1881年、ロベルト・アイトナー が若干短縮した形で、現代の楽譜に直して出版した。 によって演奏可能な形に編曲され、で1904年にによって演奏会形式で演奏、1911年にはパリのレジャーヌ劇場で復活上演された。 『オルフェオ』を現代においてどう演奏するかについてはその後も試行錯誤が続き、1925年にはによる復元版がで上演された。 またによる復元版は1943年に演奏会形式で、1954年の ウィーン芸術週間 ()ではオペラ形式で上演された。 青年時代のアーノンクールはヒンデミット版の上演を見たのが決定的な経験になったという。 最初の録音はカルージオ 指揮、による1939年の演奏である。 による演奏は1955年にによってはじめて行われた。 ただし弦楽器は近代のものを使用していた。 1969年のアーノンクールとの演奏では弦楽器を含めて古楽器を用いた。 アーノンクール版は1969年に録音が、1978年にはの演出によるのビデオが販売された。 1985年にはと版が録音されている。 その後もくり返し舞台にかけられている。 楽器編成 [編集 ] 登場人物と楽器の一覧 印刷された楽譜の冒頭には以下の楽器が記されていて、非常に豊富な編成である。 とくに弦楽器の種類が多い。 これはインテルメディオに使用されていたオーケストラと同じものである。 しかし楽譜の中で楽器が指定されている箇所はわずかしかない。 また、ここにない楽器が指定されている箇所もある。 コントラバッソ・デ・ヴィオラ 2• 10 (のこと)• 小型 2• (バス)3• レガール () 1 (オルガンの一種、冥界でのみ使われる)• 弱音器つき 3 登場人物 [編集 ] 印刷された楽譜の冒頭に記された登場人物は以下のとおりだが 、人物の声種について記されていない。 初演時には、のジョヴァンニ・グァルベルト・マーリがムジカ(音楽)とおそらくスペランツァ(希望)を歌い、カロンテとプルトーネは歌手(名前は不明)、オルフェオはテノールのフランチェスコ・ラージ、エウリディーチェはソプラノ・カストラートのジロラモ・バッチーニ神父が歌ったと推測されている。 アポロもオルフェオとおなじくテノールだった。 ムジカ(音楽の擬人化)• たちと羊飼いたちの合唱• スペランツァ(希望の擬人化)• - 冥界の川の渡し守• 冥界の精霊たちの合唱• - プルトーネの妻• - 冥界の王• 最後に モレスカ ()を踊る羊飼いたちの合唱 内容 [編集 ] 「トッカータ」と名付けられたによって曲がはじまる。 ファンファーレは3回くりかえされる。 「最古のオペラ序曲」と呼ばれることも多いが、によると、この曲はオペラ本編と無関係で、の栄光をたたえるための音楽である。 ついで器楽のが演奏され、これが実際の前奏にあたる。 このリトルネッロは第2幕の終わりと第5幕の冒頭でも再び出現し、地上の世界を表している。 ムジカ(音楽)があらわれて「プロローゴ」(導入部)を、リトルネッロをはさみながら歌う。 このプロローゴは一種の有節変奏曲になっている。 第1幕 [編集 ] の野で、叙唱「この楽しく幸せな日に」 In questo lieto e fortunato giorno にはじまるニンフと羊飼いたちの合唱がオルフェオとエウリディーチェの愛を祝福して歌い踊る。 この叙唱は2つの楽句が後世のダカーポアリアに似た形に構成されている。 合唱と踊りの間に独唱がはさまる形式になっている。 最初にオルフェオが太陽を讃えて「天上のバラ」 Rosa del ciel を歌う。 後半は器楽によるリトルネッロをはさみながらニンフと羊飼いによる二重唱や三重唱が続く。 第2幕 [編集 ] 前半はまだ第1幕の祝宴の音楽が続く。 オルフェオの歌を羊飼いがたたえる。 突然ニンフのひとりシルヴィアが到着し、「ああ痛ましい出来事」 Ahi caso acerbo を歌ってエウリディーチェの死を知らせる。 この曲はモノディ的だが大胆な不協和音を含む。 エウリディーチェの死をなげくオルフェオの歌「わが命なる君逝きて」 Tu se' morta, mia vita, ed io respiro? が続く。 第3幕 [編集 ] スペランツァ(希望)に力づけられてオルフェオは冥界に降りてエウリディーチェを取りもどそうとするが、冥界の川の渡し守であるカロンテはオルフェオを拒む。 ここでオルフェオはカロンテを説得するための長大な独唱「力強い霊、恐るべき神よ」 Possente spirto e formidabil nume を歌う。 この曲は名人芸的な技巧を要求し、オペラ全体でもっとも有名である。 独奏ヴァイオリン、コルネット、ハープ、弦楽合奏を順に伴う。 カロンテは説得されないが、眠りこんでしまい、オルフェオはその隙に川を渡る。 人間の力を讃える合唱によって幕となる。 第4幕 [編集 ] 冥界の王プルトーネの妻プロセルピナはオルフェオの歌に感動し、その願いによってプルトーネはオルフェオが後ろをふりかえらないことを条件にエウリディーチェを返すことを許す。 合唱とオルフェオの喜びの歌が続く。 しかしオルフェオは我慢できずに振りかえってしまう。 エウリディーチェは歌いながら冥界に引きもどされる。 シンフォニアと合唱によって幕となる。 第5幕 [編集 ] ふたたびトラキアの野。 オルフェオは絶望して歌う。 この曲はの効果をともなった特殊な曲である。 この効果は今や嘆きに答えてくれるのがこだまだけであることを表し、オルフェオの孤独を象徴している。 シンフォニアにつづいてアポロが出現し、オルフェオを天にあげる。 アポロとオルフェオは昇天の二重唱を歌う。 羊飼いの合唱がそれを見送り、モレスカを踊る。 脚注 [編集 ]• アーノルド 1983 pp. 139-142• 145-146• 名作オペラブックス pp. 37-40• アーノンクール 2006 p. 181• 名作オペラブックス pp. 40-44• 名作オペラブックス p. 37,150• アーノンクール 2006 p. 183• 前田 1980 pp. 23-27• アーノルド 1983 pp. 26-28• 名作オペラブックス p. 121• コーノルト 1998 pp. 57-62• 名作オペラブックス pp. 122-123• アーノンクール 2006 pp. 182-183• アーノルド 1983 p. 145• 名作オペラブックス pp. 120-121• 名作オペラブックス p. 141• 名作オペラブックス p. 146• コーノルト 1998 p. 170• 名作オペラブックス p. 148,399• 名作オペラブックス p. 211• 415• アーノンクール 2006 p. 182• 名作オペラブックス p. 154• アーノンクール 2006 p. 187• 名作オペラブックス p. 名作オペラブックス p. 201• 名作オペラブックス p. 134• アーノンクール 2006 p. 195• アーノンクール 2006 p. 189• アーノンクール 2006 p. 190• アーノルド 1983 p. 146• アーノルド 1983 p. 147• 名作オペラブックス pp. 126-128• アーノルド 1983 p. 151• 名作オペラブックス p. 125 参考文献 [編集 ]• 「オルフェオ」『名作オペラ・ブックス29 モンテヴェルディ「オルフェオ」グルック「オルフェオとエウリディーチェ」』、1989年。 4276375290。 「オルフェオ」『最新名曲解説全集18 歌劇I』、1980年、23-27頁。 デニス・アーノルド『モンテヴェルディ』後藤暢子・訳、、1983年。 4622015838。 『音楽は対話である』那須田務・本多優之訳、アカデミア・ミュージック、2006年(原著1992年)、改訂第2版。 4870170760。 ヴルフ・コーノルト『モンテヴェルディ』津上智実訳、、1998年。 427622165X。

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オルフェオ (モンテヴェルディ)

オルフェオ と エウリディーチェ

概要 [ ] 16世紀末にのを主体として新しい様式の歌唱を主体とする音楽劇が考案され、の『ダフネ』(部分的に残る)および『』(1600年初演、現存する最古のオペラ作品)、の『エウリディーチェ』などが作られた。 『オルフェオ』はモンテヴェルディが公爵に仕えていたときの作品で、オペラあるいは音楽劇(ドランマ・ペル・ムジカ)としては6番目の作品にあたるが、劇音楽自体はオペラ以前から存在していた。 たとえばは大規模な舞台装置とオーケストラを使用していた。 ほかに(インテルメディオ)もあり、式のもあった。 モンテヴェルディはこれらのさまざまな形式すべてに精通していた。 『オルフェオ』の音楽は多種多様な要素のほとんど無節操といっていいほどの混淆物であり、カメラータによるモノディ形式のみでなく、羊飼いたちの合唱に見えるの形式、名人芸的な歌曲など多彩な形式を用いた。 和声法は大胆であり、また歌と踊りを結びつけ、カメラータの形式とは異なるも許容している。 これによってモンテヴェルディはモノディによる音楽劇を後世のオペラに近いものにした。 『オルフェオ』にはダ・カーポ・アリア、有節歌曲、、劇的なモティーフを伴った楽器法、レチタティーヴォなど、後世のオペラに用いられる形式やその可能性がすでに示されている。 しかし後世のオペラと異なる点も少なくない。 合唱の多用は大きな特徴であり、いわゆるバロック・オペラが個人の歌唱を中心としているのと異なる。 2幕以降の各幕は大規模な合唱で終わる。 またシンフォニアなどの純粋な器楽曲も多用される。 ペーリの作品が今や名前が知られているだけといって差しつかえない状態であるのに対し、『オルフェオ』は実際の上演に耐えうるという意味で最初のオペラと言うことができる。 『オルフェオ』が作曲された当時「オペラ」という語はまだ存在しておらず、モンテヴェルディ本人はこの作品を「 音楽による寓話」 favola in musica と称している。 はマントヴァの宮廷書記だった ()(息子の方)によって書かれた。 初演 [ ] マントヴァ公爵邸の建物 正確な初演状況は不明な点も多いが、1607年2月24日のの日にマントヴァの公爵邸(パラッツォ・ドゥカーレ)内で、アッカデーミア・デッリ・インヴァギーティのメンバーたちを前に上演されたと考えられている(初演日は資料によって数日異なる日とされることもある)。 初演が成功であったことは明らかで、マントヴァ以外に、、でも上演された。 また1609年と1615年に正式な総譜が出版された。 出版された楽譜には公子への献辞がある。 2回も印刷されたことは並外れた成功を物語る。 『オルフェオ』はモンテヴェルディの生前に出版された唯一のオペラだった。 なお、初演時のストリッジョによるリブレットと出版された総譜では結末がまったく異なっている。 リブレットではオルフェオがバッコスの巫女たち()から逃れ、巫女たちの合唱で終わっていた。 しかし出版された楽譜ではが出現してオルフェオを天上に引きあげる。 20世紀の復活上演 [ ] モンテヴェルディの死後、17世紀後半にはその作品は忘れ去られた。 1881年、ロベルト・アイトナー ()が若干短縮した形で、現代の楽譜に直して出版した。 によって演奏可能な形に編曲され、で1904年にによって演奏会形式で演奏、1911年にはパリのレジャーヌ劇場で復活上演された。 『オルフェオ』を現代においてどう演奏するかについてはその後も試行錯誤が続き、1925年にはによる復元版がで上演された。 またによる復元版は1943年に演奏会形式で、1954年の ()ではオペラ形式で上演された。 青年時代のアーノンクールはヒンデミット版の上演を見たのが決定的な経験になったという。 最初の録音はカルージオ ()指揮、による1939年の演奏である。 による演奏は1955年にによってはじめて行われた。 ただし弦楽器は近代のものを使用していた。 1969年のアーノンクールとの演奏では弦楽器を含めて古楽器を用いた。 アーノンクール版は1969年に録音が、1978年にはの演出によるのビデオが販売された。 1985年にはと版が録音されている。 その後もくり返し舞台にかけられている。 楽器編成 [ ] 登場人物と楽器の一覧 印刷された楽譜の冒頭には以下の楽器が記されていて、非常に豊富な編成である。 とくに弦楽器の種類が多い。 これはインテルメディオに使用されていたオーケストラと同じものである。 しかし楽譜の中で楽器が指定されている箇所はわずかしかない。 また、ここにない楽器が指定されている箇所もある。 コントラバッソ・デ・ヴィオラ 2• 10 (のこと)• 小型 2• (バス)3• () 1 (オルガンの一種、冥界でのみ使われる)• 弱音器つき 3 登場人物 [ ] 印刷された楽譜の冒頭に記された登場人物は以下のとおりだが 、人物の声種について記されていない。 初演時には、のジョヴァンニ・グァルベルト・マーリがムジカ(音楽)とおそらくスペランツァ(希望)を歌い、カロンテとプルトーネは歌手(名前は不明)、オルフェオはテノールのフランチェスコ・ラージ、エウリディーチェはソプラノ・カストラートのジロラモ・バッチーニ神父が歌ったと推測されている。 アポロもオルフェオとおなじくテノールだった。 ムジカ(音楽の擬人化)• たちと羊飼いたちの合唱• スペランツァ(希望の擬人化)• - 冥界の川の渡し守• 冥界の精霊たちの合唱• - プルトーネの妻• - 冥界の王• 最後に ()を踊る羊飼いたちの合唱 内容 [ ] 「トッカータ」と名付けられたによって曲がはじまる。 ファンファーレは3回くりかえされる。 「最古のオペラ序曲」と呼ばれることも多いが、によると、この曲はオペラ本編と無関係で、の栄光をたたえるための音楽である。 ついで器楽のが演奏され、これが実際の前奏にあたる。 このリトルネッロは第2幕の終わりと第5幕の冒頭でも再び出現し、地上の世界を表している。 ムジカ(音楽)があらわれて「プロローゴ」(導入部)を、リトルネッロをはさみながら歌う。 このプロローゴは一種の有節変奏曲になっている。 第1幕 [ ] の野で、叙唱「この楽しく幸せな日に」 In questo lieto e fortunato giorno にはじまるニンフと羊飼いたちの合唱がオルフェオとエウリディーチェの愛を祝福して歌い踊る。 この叙唱は2つの楽句が後世のダカーポアリアに似た形に構成されている。 合唱と踊りの間に独唱がはさまる形式になっている。 最初にオルフェオが太陽を讃えて「天上のバラ」 Rosa del ciel を歌う。 後半は器楽によるリトルネッロをはさみながらニンフと羊飼いによる二重唱や三重唱が続く。 第2幕 [ ] 前半はまだ第1幕の祝宴の音楽が続く。 オルフェオの歌を羊飼いがたたえる。 突然ニンフのひとりシルヴィアが到着し、「ああ痛ましい出来事」 Ahi caso acerbo を歌ってエウリディーチェの死を知らせる。 この曲はモノディ的だが大胆な不協和音を含む。 エウリディーチェの死をなげくオルフェオの歌「わが命なる君逝きて」 Tu se' morta, mia vita, ed io respiro? が続く。 第3幕 [ ] スペランツァ(希望)に力づけられてオルフェオは冥界に降りてエウリディーチェを取りもどそうとするが、冥界の川の渡し守であるカロンテはオルフェオを拒む。 ここでオルフェオはカロンテを説得するための長大な独唱「力強い霊、恐るべき神よ」 Possente spirto e formidabil nume を歌う。 この曲は名人芸的な技巧を要求し、オペラ全体でもっとも有名である。 独奏ヴァイオリン、コルネット、ハープ、弦楽合奏を順に伴う。 カロンテは説得されないが、眠りこんでしまい、オルフェオはその隙に川を渡る。 人間の力を讃える合唱によって幕となる。 第4幕 [ ] 冥界の王プルトーネの妻プロセルピナはオルフェオの歌に感動し、その願いによってプルトーネはオルフェオが後ろをふりかえらないことを条件にエウリディーチェを返すことを許す。 合唱とオルフェオの喜びの歌が続く。 しかしオルフェオは我慢できずに振りかえってしまう。 エウリディーチェは歌いながら冥界に引きもどされる。 シンフォニアと合唱によって幕となる。 第5幕 [ ] ふたたびトラキアの野。 オルフェオは絶望して歌う。 この曲はの効果をともなった特殊な曲である。 この効果は今や嘆きに答えてくれるのがこだまだけであることを表し、オルフェオの孤独を象徴している。 シンフォニアにつづいてアポロが出現し、オルフェオを天にあげる。 アポロとオルフェオは昇天の二重唱を歌う。 羊飼いの合唱がそれを見送り、モレスカを踊る。 脚注 [ ]• アーノルド 1983 pp. 139-142• 145-146• 名作オペラブックス pp. 37-40• アーノンクール 2006 p. 181• 名作オペラブックス pp. 40-44• 名作オペラブックス p. 37,150• アーノンクール 2006 p. 183• 前田 1980 pp. 23-27• アーノルド 1983 pp. 26-28• 名作オペラブックス p. 121• コーノルト 1998 pp. 57-62• 名作オペラブックス pp. 122-123• アーノンクール 2006 pp. 182-183• アーノルド 1983 p. 145• 名作オペラブックス pp. 120-121• 名作オペラブックス p. 141• 名作オペラブックス p. 146• コーノルト 1998 p. 170• 名作オペラブックス p. 148,399• 名作オペラブックス p. 211• 415• アーノンクール 2006 p. 182• 名作オペラブックス p. 154• アーノンクール 2006 p. 187• 名作オペラブックス p. 名作オペラブックス p. 201• 名作オペラブックス p. 134• アーノンクール 2006 p. 195• アーノンクール 2006 p. 189• アーノンクール 2006 p. 190• アーノルド 1983 p. 146• アーノルド 1983 p. 147• 名作オペラブックス pp. 126-128• アーノルド 1983 p. 151• 名作オペラブックス p. 125 参考文献 [ ]• 「オルフェオ」『名作オペラ・ブックス29 モンテヴェルディ「オルフェオ」グルック「オルフェオとエウリディーチェ」』、1989年。 「オルフェオ」『最新名曲解説全集18 歌劇I』、1980年、23-27頁。 デニス・アーノルド『モンテヴェルディ』後藤暢子・訳、、1983年。 『音楽は対話である』那須田務・本多優之訳、アカデミア・ミュージック、2006年(原著1992年)、改訂第2版。 ヴルフ・コーノルト『モンテヴェルディ』津上智実訳、、1998年。

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