小説 lc。 ムーンライトノベルズ×ラブコスメ 第2回「感じる小説コンテスト」《会員登録必須・18歳以上限定》

ムーンライトノベルズ×ラブコスメ 第2回「感じる小説コンテスト」《会員登録必須・18歳以上限定》

小説 lc

犯罪者は犯罪者であり、悪は悪。 そこに自分たちと地続きの人間性や生活を見ることは難しい。 潔いタイトルに期待感が高まった。 『犯罪小説集』はその名の通り、五つの犯罪にまつわる小説が収録された短編集だ。 女児が行方不明になったことで揺れる小さな村の夏。 三角関係のもつれで店の客に内縁の夫殺しを依頼したスナックのママ。 バカラ賭博で何億もの借金を重ねる大企業の御曹司。 小説の中に出てくる犯罪すべてに、マスコミを騒がせたあの事件この事件の影が差す。 そのため私たち読者は事件の顛末をすでにうっすら知っている。 そしてこの「知っている」感覚が本書にとんでもない凄みと奥行きを与えている。 事件は起こる。 起きてしまう。 それを知っていてなお、その犯人がひとたび著者の筆によって目線を与えられると、私たちは否応なしに彼らの気持ちがわかってしまう。 その哀しみ、疲れ、行き詰まり。 あるいは、深く考えなかったのであろうという無自覚な短慮の感覚までもが。 だからこそ読みながら願った。 女児が行方不明になった夏に事件が起こらないこと、犯人がその人でないことを願い、その反対に賭博で作った借金には、主人公の救済を望むのと同義に、事件の早期発覚を願う。 狭い集落の中の孤立が小さな誤解の積み重ねで解決できないところまで追いつめられると「事件」はむしろ破たんではなく、来るべき閉塞状態からの解放のようにさえ感じられてしまう。 どの作品もラストが素晴らしい。 著者は事件の発覚や容疑者の逮捕といった私たちが思う「顛末」を遥かに凌駕する瞬間をどの話にも用意している。 逮捕や発覚は、この本の中で事件の瞬間のひとつであって、全部のまとめではない。 人は、世界の貧困を本心から嘆いていても、何億もの金を一瞬で溶かしてしまうことができる。 善でも悪でもなく、哀しみでも疲れでも生ぬるい、名付けられない感情によって時として「事件」は起こる。 その名付けられない何かの営みを描くものこそが小説であり、犯罪を小説で描くことの意味なのかもしれない。 圧巻の犯罪小説集だ。 評者:辻村 深月 週刊文春 2016. 19掲載 内容(「BOOK」データベースより) 様々な犯罪を題材にした5編の短編集です。 お勧めは幼女誘拐から巻き起こる町の狂騒を描いた「青田Y字路」、村八分によって起きた集落の大量殺人事件を扱った「万屋善次郎」です。 5編とも実際に起きた事件をベースにしているようで、「百家楽餓鬼」は大王製紙の井川会長の破滅、「万屋善次郎」は山口の集落で起こった連続殺人事件、「白球白蛇伝」は元千葉ロッテの小川博の事件、と元ネタが3編ははっきりとわかるものでした。 新聞やワイドショーでは見過ごされる事件に至るまでの背景、現場の手触り、臭い、目に映る光景、そういった描写が五感に迫り、実際に事件に遭遇したような臨場感と昂揚が沸き起こってきました。 特に冒頭で述べた2編は集団の正義や善意が狂気に変わっていく流れが秀逸でした。 これまでも吉田作品は映画の原作になってきましたが、五感に実感を与える風景描写とどんな人にも起こり得る心理の生臭さが、自分の目の前に映画のように映像を浮かび上らせる力を持っているからだろうと納得しました。 小説を読み終えると、自分が茫然と喧騒の去った事件現場に立ち尽くしているようでした。 映画「楽園」の原作ということでこの本を買った。 この5編からなる短編小説を読み通すと、私は確か週刊新潮だと思うが、ある特定の 犯罪を小説風に描いたノンフイクションを思い出した。 犯罪者の動機やその背景を物語風に描いたこのノンフイクションはもうかなり長い間連載 されているはずだ。 この5編の短編のいくつかは、実際に起きた事件をヒントに書かれたのではないかと思う。 犯人たちの心象的な 動機に焦点を当てているわけではない。 その犯罪に至るまでの「流れ」が描かれていく。 それぞれの作品の意味合いを論じれば、 例えば日本の閉鎖社会で起こる犯罪もあれば、世間知らずゆえに起こす犯罪もある。 また、多くの作品には「差別」というモチーフが あるようにも思う。 とはいえ、すべての作品が人間の物語として完結しているわけでもない。 犯罪という出来事に至るまでの人間たちの 人生の流れは描かれるが、それが彼らの動機でもない。 ただ、人間が犯す過ちを描いた寓話として読むべき作品かもしれない。

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犯罪小説集

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犯罪者は犯罪者であり、悪は悪。 そこに自分たちと地続きの人間性や生活を見ることは難しい。 潔いタイトルに期待感が高まった。 『犯罪小説集』はその名の通り、五つの犯罪にまつわる小説が収録された短編集だ。 女児が行方不明になったことで揺れる小さな村の夏。 三角関係のもつれで店の客に内縁の夫殺しを依頼したスナックのママ。 バカラ賭博で何億もの借金を重ねる大企業の御曹司。 小説の中に出てくる犯罪すべてに、マスコミを騒がせたあの事件この事件の影が差す。 そのため私たち読者は事件の顛末をすでにうっすら知っている。 そしてこの「知っている」感覚が本書にとんでもない凄みと奥行きを与えている。 事件は起こる。 起きてしまう。 それを知っていてなお、その犯人がひとたび著者の筆によって目線を与えられると、私たちは否応なしに彼らの気持ちがわかってしまう。 その哀しみ、疲れ、行き詰まり。 あるいは、深く考えなかったのであろうという無自覚な短慮の感覚までもが。 だからこそ読みながら願った。 女児が行方不明になった夏に事件が起こらないこと、犯人がその人でないことを願い、その反対に賭博で作った借金には、主人公の救済を望むのと同義に、事件の早期発覚を願う。 狭い集落の中の孤立が小さな誤解の積み重ねで解決できないところまで追いつめられると「事件」はむしろ破たんではなく、来るべき閉塞状態からの解放のようにさえ感じられてしまう。 どの作品もラストが素晴らしい。 著者は事件の発覚や容疑者の逮捕といった私たちが思う「顛末」を遥かに凌駕する瞬間をどの話にも用意している。 逮捕や発覚は、この本の中で事件の瞬間のひとつであって、全部のまとめではない。 人は、世界の貧困を本心から嘆いていても、何億もの金を一瞬で溶かしてしまうことができる。 善でも悪でもなく、哀しみでも疲れでも生ぬるい、名付けられない感情によって時として「事件」は起こる。 その名付けられない何かの営みを描くものこそが小説であり、犯罪を小説で描くことの意味なのかもしれない。 圧巻の犯罪小説集だ。 評者:辻村 深月 週刊文春 2016. 19掲載 内容(「BOOK」データベースより) 様々な犯罪を題材にした5編の短編集です。 お勧めは幼女誘拐から巻き起こる町の狂騒を描いた「青田Y字路」、村八分によって起きた集落の大量殺人事件を扱った「万屋善次郎」です。 5編とも実際に起きた事件をベースにしているようで、「百家楽餓鬼」は大王製紙の井川会長の破滅、「万屋善次郎」は山口の集落で起こった連続殺人事件、「白球白蛇伝」は元千葉ロッテの小川博の事件、と元ネタが3編ははっきりとわかるものでした。 新聞やワイドショーでは見過ごされる事件に至るまでの背景、現場の手触り、臭い、目に映る光景、そういった描写が五感に迫り、実際に事件に遭遇したような臨場感と昂揚が沸き起こってきました。 特に冒頭で述べた2編は集団の正義や善意が狂気に変わっていく流れが秀逸でした。 これまでも吉田作品は映画の原作になってきましたが、五感に実感を与える風景描写とどんな人にも起こり得る心理の生臭さが、自分の目の前に映画のように映像を浮かび上らせる力を持っているからだろうと納得しました。 小説を読み終えると、自分が茫然と喧騒の去った事件現場に立ち尽くしているようでした。 映画「楽園」の原作ということでこの本を買った。 この5編からなる短編小説を読み通すと、私は確か週刊新潮だと思うが、ある特定の 犯罪を小説風に描いたノンフイクションを思い出した。 犯罪者の動機やその背景を物語風に描いたこのノンフイクションはもうかなり長い間連載 されているはずだ。 この5編の短編のいくつかは、実際に起きた事件をヒントに書かれたのではないかと思う。 犯人たちの心象的な 動機に焦点を当てているわけではない。 その犯罪に至るまでの「流れ」が描かれていく。 それぞれの作品の意味合いを論じれば、 例えば日本の閉鎖社会で起こる犯罪もあれば、世間知らずゆえに起こす犯罪もある。 また、多くの作品には「差別」というモチーフが あるようにも思う。 とはいえ、すべての作品が人間の物語として完結しているわけでもない。 犯罪という出来事に至るまでの人間たちの 人生の流れは描かれるが、それが彼らの動機でもない。 ただ、人間が犯す過ちを描いた寓話として読むべき作品かもしれない。

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LEXUS ‐ LC

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犯罪者は犯罪者であり、悪は悪。 そこに自分たちと地続きの人間性や生活を見ることは難しい。 潔いタイトルに期待感が高まった。 『犯罪小説集』はその名の通り、五つの犯罪にまつわる小説が収録された短編集だ。 女児が行方不明になったことで揺れる小さな村の夏。 三角関係のもつれで店の客に内縁の夫殺しを依頼したスナックのママ。 バカラ賭博で何億もの借金を重ねる大企業の御曹司。 小説の中に出てくる犯罪すべてに、マスコミを騒がせたあの事件この事件の影が差す。 そのため私たち読者は事件の顛末をすでにうっすら知っている。 そしてこの「知っている」感覚が本書にとんでもない凄みと奥行きを与えている。 事件は起こる。 起きてしまう。 それを知っていてなお、その犯人がひとたび著者の筆によって目線を与えられると、私たちは否応なしに彼らの気持ちがわかってしまう。 その哀しみ、疲れ、行き詰まり。 あるいは、深く考えなかったのであろうという無自覚な短慮の感覚までもが。 だからこそ読みながら願った。 女児が行方不明になった夏に事件が起こらないこと、犯人がその人でないことを願い、その反対に賭博で作った借金には、主人公の救済を望むのと同義に、事件の早期発覚を願う。 狭い集落の中の孤立が小さな誤解の積み重ねで解決できないところまで追いつめられると「事件」はむしろ破たんではなく、来るべき閉塞状態からの解放のようにさえ感じられてしまう。 どの作品もラストが素晴らしい。 著者は事件の発覚や容疑者の逮捕といった私たちが思う「顛末」を遥かに凌駕する瞬間をどの話にも用意している。 逮捕や発覚は、この本の中で事件の瞬間のひとつであって、全部のまとめではない。 人は、世界の貧困を本心から嘆いていても、何億もの金を一瞬で溶かしてしまうことができる。 善でも悪でもなく、哀しみでも疲れでも生ぬるい、名付けられない感情によって時として「事件」は起こる。 その名付けられない何かの営みを描くものこそが小説であり、犯罪を小説で描くことの意味なのかもしれない。 圧巻の犯罪小説集だ。 評者:辻村 深月 週刊文春 2016. 19掲載 内容(「BOOK」データベースより) 様々な犯罪を題材にした5編の短編集です。 お勧めは幼女誘拐から巻き起こる町の狂騒を描いた「青田Y字路」、村八分によって起きた集落の大量殺人事件を扱った「万屋善次郎」です。 5編とも実際に起きた事件をベースにしているようで、「百家楽餓鬼」は大王製紙の井川会長の破滅、「万屋善次郎」は山口の集落で起こった連続殺人事件、「白球白蛇伝」は元千葉ロッテの小川博の事件、と元ネタが3編ははっきりとわかるものでした。 新聞やワイドショーでは見過ごされる事件に至るまでの背景、現場の手触り、臭い、目に映る光景、そういった描写が五感に迫り、実際に事件に遭遇したような臨場感と昂揚が沸き起こってきました。 特に冒頭で述べた2編は集団の正義や善意が狂気に変わっていく流れが秀逸でした。 これまでも吉田作品は映画の原作になってきましたが、五感に実感を与える風景描写とどんな人にも起こり得る心理の生臭さが、自分の目の前に映画のように映像を浮かび上らせる力を持っているからだろうと納得しました。 小説を読み終えると、自分が茫然と喧騒の去った事件現場に立ち尽くしているようでした。 映画「楽園」の原作ということでこの本を買った。 この5編からなる短編小説を読み通すと、私は確か週刊新潮だと思うが、ある特定の 犯罪を小説風に描いたノンフイクションを思い出した。 犯罪者の動機やその背景を物語風に描いたこのノンフイクションはもうかなり長い間連載 されているはずだ。 この5編の短編のいくつかは、実際に起きた事件をヒントに書かれたのではないかと思う。 犯人たちの心象的な 動機に焦点を当てているわけではない。 その犯罪に至るまでの「流れ」が描かれていく。 それぞれの作品の意味合いを論じれば、 例えば日本の閉鎖社会で起こる犯罪もあれば、世間知らずゆえに起こす犯罪もある。 また、多くの作品には「差別」というモチーフが あるようにも思う。 とはいえ、すべての作品が人間の物語として完結しているわけでもない。 犯罪という出来事に至るまでの人間たちの 人生の流れは描かれるが、それが彼らの動機でもない。 ただ、人間が犯す過ちを描いた寓話として読むべき作品かもしれない。

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