お経 般若心経 読み方。 般若心経 漢文読み下しの試み

般若心経のご利益や意味・唱え方【心と体を浄化する真言(マントラ)】

お経 般若心経 読み方

般若心経は、数あるお経の中でも最も有名なものの1つです。 同時にとても短いことから日常的に唱えるには最適といえます。 とはいえ、難しい漢字や読み方も含まれているため、初見で簡単に読めるものではありませんし、ただ読むだけではなく、意味も理解しておくべきでしょう。 ここでは、般若心経の全文と読み方、簡単な意味を紹介します。 【目次】 般若心経の全文と読み方 まずは、般若心経の全文を紹介します。 ふりがなを頼りに、一度最後まで読んでみましょう。 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 (ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう) 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 (かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 (どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう) 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 (くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ しゃりし ぜしょほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう) 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むしき むじゅうそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう) 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 (むげんかいない しむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 (ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく) 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 (いむしょうとくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみったこ) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 (しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう) 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 (くうぎょうねはん さんぜしょうぶつ えはんにゃはらみったこ) 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃはらみった) 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 (ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ) 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 (のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ) 即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 (そくせつしゅわつ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい) 菩提薩婆訶 般若心経 (ぼじそわか はんにゃしんぎょう) 般若心経は仏教の真髄をまとめたもの 般若心経は、正式には「般若波羅蜜多心経」といいます。 「般若」は智慧(ちえ)、すなわち物事の道理を見抜く力という意味です。 「波羅密多」は悟りを得て彼岸(浄土)へ行くこと、「心」は重要な部分という意味を持っています。 つまり、仏教で最も重要な悟りを得る方法の、最も重要な箇所をまとめたものなのです。 般若心経の大元とされる「般若経」は、大乗仏教の経典の中でも特に古い部類で、紀元前後~1世紀ごろにはすでに成立していました。 これをかの玄奘三蔵が西方から中国に持ち帰り、完訳・集大成したのが「大般若波羅蜜多経」です。 しかし、このお経は約600巻というとてつもなく長いものであり、唱えるのは簡単ではありません。 そこで、600巻の内容をわかりやすくまとめたのが般若心経だと考えられています(否定説もあり)。 このような経緯から、般若心経はわずか262文字の中に仏教の真髄が説かれているとされ、「天下第一の経典」とまで呼ばれました。 般若心経は仏教の各宗派でも取り入れられ、独自の解釈が試みられている他、日常の読誦や写経にも使われています。 ただし、浄土真宗は「浄土三部経」、日蓮宗は「法華経」を経典としているため、般若心経を唱えることは基本的にありません。 般若心経は物語形式で「空」の思想を説く 般若心経を読んでも、ほとんどの方は意味がまったく理解できないことでしょう。 実は般若心経は物語形式になっていて、お釈迦様の十大弟子の1人である舎利子(シャーリプトラ)と、観自在菩薩(=観音菩薩、観音様)との対話の中で仏教の教えを説いているのです。 特に、あらゆるものには実体がないという「空(くう)」の思想について深く説いています。 観音様は修業によって、五蘊(ごうん)には実体がないと見極めました。 五蘊とは、人間を構成する5つの要素である色(肉体)、受(感覚)、想(想像)、行(心の作用)、識(意識)のことを表します。 この考えに至って、観音様はこの世のあらゆる苦しみから解放されたのです。 さらに観音様は、舎利子に対して「この世のあらゆるものに実体がないということは、生まれることも滅びることも、汚れることもきれいになることも、増えることも減ることもない」「老いも死もなく、老いや死がなくなることもない。 苦しみやその原因もないし、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もない」と説いています。 このような真理に目覚めてこそ、心安らかでいられるというわけです。 今回のまとめ は、短い中にも仏教の教えがしっかりと詰まっています。 1回3分弱で読めてしまうので、一度読み方を覚えれば、唱えるのはまったく負担になりません。 意味を理解し読み方をマスターして、毎日朝夕に唱えてみてはいかがでしょうか。 きっと心が晴れやかになることでしょう。

次の

般若心経の意味とは? お経の全文をふりがな付きで紹介|お坊さんのいないお葬式|日本全国の葬儀場をご案内

お経 般若心経 読み方

般若心経 漢文読み下しの試み 般若心経 漢文読み下しの試み 誰もやってないので、私がやってみました 古来、日本人が 漢籍 かんせき 中国の書物 を読むときは、語順を日本語に近づけるための「返り点」を付け、テニヲハなどの助詞や送りがなを加えて、漢文を日本語として読めるように工夫してきた。 もとの漢文を 白文 はくぶん と称し、日本語として読めるようにしたものを「読み 下 くだ し文」と称した。 「お経」も漢籍であり漢文で書かれているのだから、まずは読み下し文の形で広まり、その後それを現代文に訳すのが 真 ま っ 当 とう な順序だと思うのだが、なぜか読み下し文の形のものがない。 昔から漢字を音読みでダラダラと読む形があり、次の形は色々な人による現代訳や解説しかない。 中間的な形としての読み下し文がない。 この辺りのことは前項に書いたが、誰もやらないようなので、本稿で般若心経を読み下し文とした例を示すこととした。 まず、般若心経の全文を示す。 何も手を加えない状態だと、このように文節ごとの区切りもなく、句読点もない。 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌心意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵以般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経 通常、般若心経の解説書などでは、上記の状態のものを少しずつ区切って、漢字の音読のしかたが説明されたあと、いきなり解説が展開されてゆく。 その解説は著者の解釈が付加されたものとなっていて、しかもその解釈は著者の立場や考え方によって原文とかけ離れた内容がつけ加わったりしているものが殆どである。 小説家の手によるものなどもあるが、読みやすくなることはいいとしても、解釈が本文から逸脱する範囲も大きくなりがちで、殆ど「脚色」という類のものとなってしまう。 そうした解説者たちの「お説を拝聴」するのは、般若心経の本質に迫ることにはならない。 単に、解説者たちの「解釈」を押しつけられるだけのことである。 何も身につかない。 自分自身で、何が書いてあるのかを確かめることによって初めて、本質に迫ることができるはずである。 何が書いてあるかというのを確かめながら読むのであれば、「漢字だけの原文」と「解釈」の間に、もうひと段階、英文和訳における「直訳」に相当する段階が必要である。 これが「読み下し」である。 さて、漢字が羅列された文 白文 を日本語として読み下すための作業は、次のように行った。 漢文は英語の語順と似た処があるので、迷ったら、 英語ならどんな語順で書かれるか、と考えて付けた。 もちろん、文節分けや返り点の打ち方や、送りがなの付け方など、ここまでの段階で既に私の「解釈」がある程度は付け加わってしまうことになるが、最低限に抑えられているはずである。 以下、読み下し文による般若心経である。 仏説 ブッセツ 般若波羅蜜多心経 ハンニャハラミッタシンギョウ 観自在菩薩 カンジザイボサツ 深般若波羅蜜多 ジンハンニャハラミッタ ヲ 行 ギョウ ゼシ 時 トキ 、 五蘊 ゴウン 皆 ミナ 空 クウ ト 照見 ショウケン シ、 一切 イッサイ ノ 苦厄 クヤク ヲ 度 ド ス。 舎利子 シャリシ 色 シキ ハ 空 クウ ニ 異 コト ナラズ、 空 クウ ハ 色 シキ ニ 異 コト ナラズ。 色 シキ ハ 即 スナワ チ 是 コ レ 空 クウ 、 空 クウ ハ 即 スナワ チ 是 コ レ 色 シキ。 受 ジュ 、 想 ソウ 、 行 ギョウ 、 識 シキ 亦復 モマタ 是 カ クノ 如 ゴト シ。 舎利子 シャリシ 是 コ レ 諸法 ショホウ ハ 空相 クウソウ ニシテ、 生 ショウ ゼズ 滅 メッ セズ、 垢 ク ナラズ 浄 ジョウ ナラズ、 増 ゾウ ゼス 減 ゲン ゼズ。 是 カ ク 故 ユエ 、 空 クウ ノ 中 ナカ 色 シキ 無 ナ ク、 受 ジュ 、 想 ソウ 、 行 ギョウ 、 識 シキ 無 ナ シ。 眼 ゲン 、 耳 ニ 、 鼻 ビ 、 舌 ゼツ 、 身 シン 、 意 イ 無 ナ ク、 色 シキ 、 声 ショウ 、 香 コウ 、 味 ミ 、 触 ソク 、 法 ホウ 無 ナ シ。 眼界 ゲンカイ 無 ナ ク、 乃至 ナイシ 意識界 イシキカイ 無 ナ シ。 無明 ムミョウ 無 ナ ク、 亦 マタ 無明 ムミョウ 尽 ツ クルコト 無 ナ シ。 乃至 ナイシ 老死 ロウシ 無 ナ ク、 亦 マタ 老死ノ 尽 ツ クルコト 無 ナ シ。 苦 ク 、 集 シュウ 、 滅 メツ 、 道 ドウ 無 ナ ク、 智 チ 無 ナ ク 亦 マタ 得 トク 無 ナ シ。 所得 ショトク 無 ナ キヲ 以 モ ッテ 故 ユエ。 菩提薩埵 ボダイサッタ 、 般若波羅蜜多 ハンニャハラミッタ ニ 依 ヨ ル 故 ユエ 、 心 シン 罣礙 ケイゲ 無 ナ ク、 罣礙 ケイゲ 無 ナ キ 故 ユエ 、 恐怖 クフ 有 ア ルコト 無 ナ シ。 一切 イッサイ ノ 顚倒夢想 テンドウムソウ ヲ 遠離 オンリ シ、 涅槃 ネハン ヲ 究竟 クギョウ ス。 三世諸仏 サンゼショブツ 、般若波羅蜜多ニ依ル故、 阿耨多羅三藐三菩提 アノクタラサンミャクサンボダイ ヲ 得 ウ。 故 ユエ ニ 般若波羅蜜多 ハンニャハラミッタ ヲ 知 シ ルハ、 是 コ レ 大 ダイ ナル 神呪 シンシュ 、是 コ レ 大 ダイ ナル 明呪 ミョウシュ 、 是 コ レ 無上 ムジョウ ノ 呪 シュ 、 是 コ レ 等等 トウドウ 無 ナ キ 呪 シュ。 一切 イッサイ ノ 苦 ク ヲ 除 ジョ ス 能 アタ フ。 真実 シンジツ ニシテ 虚 コ ナラズ。 故 ユエ ニ 般若波羅蜜多 ハンニャハラミッタ ノ呪 シュ ヲ 説 ト ク。 即 スナワ チ 説 ト キ 呪 シュ シ 曰 モウ セ。 羯諦羯諦 ギャアテイギャアテイ 、 波羅羯諦 ハラギャアテイ 波羅僧羯諦 ハラソウギャアテイ 、 菩提薩婆訶 ボジソワカ。 般若心経 ハンニャシンギョウ。 【若干の補足】 「 五蘊皆空 ごうんかいくう 」の 五蘊 ごうん とは、色、受、想、行、識を示す。 五蘊がみな「 空 くう 」であると悟った観自在菩薩、または観自在菩薩から教えを聞いた高弟が、その弟子に語りかける形をとっていると考えられる。 舎利子 しゃりし は、仏弟子。 舎利とは骨のこと。 従って「舎利子」は、「わが骨よ」みたいな意味になるが、ここでは、「弟子たちよ」と呼びかけて、話を始めると解してよいだろう。 次の段で、五蘊の中でまず「色」について、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち空であり、空は即ち色である、と説いている。 そして「受想行識もまたこのとおりである」となっているので、五蘊の全てが空である、と悟ったことをひとつひとつ説明していることになる。 「またかくのごとし」は、全て同じこと、という意味。 次の「舎利子」以降は、全てが「空」であることを、別の観点から説いていることになる。 後半、「 呪 しゅ 」が出てくるが、これは文字通り「呪文」と解していいと思う。 この呪文の尊とさを繰り返し述べたあと、最後の「羯諦羯諦」が、まさに呪文として示される、という構成なのだろう。 あと、それぞれの用語や文章全体の意味するところについては、何種類も解説書があり、またウェブでも色々な解釈が掲載されているので参考になさってください。 般若心経は短い教典であって覚えやすいことと、多くの宗派で用いられるため、自宅で仏壇に向かって唱えたり、写経の素材として使われることも多いが、意味が分からないまま、または意味を捉えようとしないまま唱えたり写したりするよりも、「こんなことが書いてあるのだ」ということをある程度理解した上で行うのとでは、気持ちの入り方も違ってくるはずだ。 そして、読み下し文にしてみても、結構リズムがあり、パワーを感じる教典だ、というのが「翻訳」後の、私の感想である。 縦書きの読み下しのPDFも添付しておく。 尚、本来は旧仮名遣いで書くべきだが、私は新仮名遣いしか使えない世代なので、一部を除き新仮名遣いで記している。

次の

真言宗の大切なお経【般若心経】の意味とは!?|終活ねっとのお坊さん

お経 般若心経 読み方

摩訶般若波羅蜜多心経 まかはんにゃはらみたしんぎょう 観自在菩薩 かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄 どいっさいくやく 舍利子 しゃりし 色不異空 しきふいくう 空不異色 くうふいしき 色即是空 しきそくぜくう 空即是色 くうそくぜしき 受想行識亦復如是 じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舍利子 しゃりし 是諸法空相 ぜしょほうくうそう 不生不滅 ふしょうふめつ 不垢不浄 ふくふじょう 不増不減 ふぞうふげん 是故空中 ぜこくうちゅう 無色 むしき 無受想行識 むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意 むげんにびぜっしんい 無色声香味触法 むしきしょうこうみそくほう 無眼界 むげんかい 乃至無意識界 ないしむいしきかい 無無明 むむみょう 亦無無明盡 やくむむみょうじん 乃至無老死 ないしむろうし 亦無老死盡 やくむろうしじん 無苦集滅道 むくしゅうめつどう 無智亦無得 むちやくむとく 以無所得故 いむしょとくこ 菩提薩埵 ぼだいさった 依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ 心無罣礙 しんむけいげ 無罣礙故 むけいげこ 無有恐怖 むうくふ 遠離一切顛倒夢想 おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃 くきょうねはん 三世諸佛 さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ 得阿耨多羅三藐三菩提 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多 こちはんにゃはらみった 是大神呪 ぜだいじんじゅ 是大明呪 ぜだいみょうじゅ 是無上呪 ぜむじょうじゅ 是無等等呪 ぜむとうどうじゅ 能除一切苦 のうじょいっさいく 真実不虚 しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪 こせつはんにゃはらみったじゅ 即説呪曰 そくせつしゅわつ 羯諦羯諦 ぎゃていぎゃてい 波羅羯諦 はらぎゃてい 波羅僧羯諦 はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶 ぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう 酒井圓弘 訳 (2013年の秋に光の庭で瞑想していたときに降りてきたメッセージをメモしたものの一部です。 ) 心静かに物事を観察していたら、心に何のこだわりもなくなり、この世界はすべて、永遠不滅ではないことが解りました。 条件が変われば、結果も変わります。 刻々と変化してとまることはありません。 色々な条件の中には自分の努力というものがありますが、それだけではありません。 何かの条件があるはずです。 いつも自分は自分で変わらないと思っていても、変化しています。 死にたくないと言いますが、生まれる前と死んだ後に行く所は同じだから安心して良いのです。 元いた場所に帰るだけです。 こだわると言う事は、そこにじっとしているだけです。 じっとしていたのでは他の素晴らしい世界を知ることもできません。 心を自由自在にしていきましょう。 何かを恐がる事もなく、現実を無視して『こうであったらいいのになあ』などと夢見ることもなくなります。 それは素晴らしい心の広がりを持ち、充実感に満ちたどっしりしたものです。

次の