角田美代子。 【衝撃事件の核心】ソープの稼ぎも貢いだ…尼崎連続変死〝キーマン〟 「お腹痛めて産んだ子」も美代子元被告に差し出した壮絶人生(1/4ページ)

【尼崎連続変死・公判】ワイセツ行為にブチ切れた角田美代子「絶対に許さへん」 (2015年7月27日)

角田美代子

ルルーシュに見つめられ、命令を受けると、たとえ「死ね」であろうとも、その通りに行動しなければいけない、というものだ。 その能力によって、敵も味方も翻弄するルルーシュの描写は、このアニメをヒットさせる大きな要因となった。 しかし、もしもこの世に本当に「絶対服従のギアス」をもつ人間がいたとしたら・・・そう考えるとゾッとしないだろうか。 もちろん架空の物語である以上、そんな人は存在しない。 だが、まるで「絶対服従のギアス」でも持っているのではないのかと思われてもおかしくない人物がいた。 その者の名は、 角田美代子。 卑劣極まりない「 尼崎事件」の首謀者だ。 一部では「家族喰い」と呼ばれるこの女性はいくつもの家族をも乗っ取り、崩壊させ、全て自分の糧としていった。 1999年。 きっかけは親戚である叔父の妻の葬儀であった。 いつから角田は家族の乗っ取りを企んでいたかはわからないが、その葬儀で角田は恫喝をした。 その内容とは「段取りが悪い」という荒唐無稽なものであった。 初めのうちは相手にしない遺族であったが、角田の剣幕に圧倒されるようになり、いつしか、尼崎にある角田の自宅に集まるようになった。 そして、あっという間に発言力を強くし、最終的には 洗脳し、強制的に集団生活を始めた。 話の展開が飛びすぎと思うかもしれないが、以上のことは全て事実である。 なぜ角田はそんなことができたのか、丁寧に追っていきたい。 まず、角田は遺族側の「油断」を利用した。 所詮相手は角田一人だけと、遺族も高をくくっていたのだ。 角田の自宅に行ったのはそういう油断が影響していること間違いなかった。 しかし、角田にとってはそれが思う壺であった。 次に角田は、遺族間の微妙な「不和」を利用した。 そもそも遺族は、叔父の妻から見たら妹にあたる人物(70代、以後便宜的に「祖母」と表記)とその息子たち、そしてその家族で構成されていた。 となると、老い先短いこの祖母の面倒を誰が見るのかは、揉める材料として十分であった。 おそらく角田はそこを見越して乗っ取れると踏んだのだろう。 自宅に集まった遺族に、角田はすかさずこの不安材料を容赦なくぶつけた。 すると遺族は口をつぐんだ。 それどころか、遺族の一人が借金をしているという情報まで手に入れることができた。 核家族化された現代社会が抱える問題を衝いた、角田の作戦勝ちであった。 ここで角田の策略は次の段階に進む。 それは感情の「緩急」で遺族を安堵させることだ。 多額の借金をしている遺族の一人に、肩代わりを提案するのだ。 おっかないオバサン程度にしか思われていなかった角田の印象がここでガラッと変わったのだ。 以降も、このふと見せる優しさは、ここぞという場面で遺憾なく発揮される角田の得意技となった。 こうして己の地位を上げた角田は、集団生活の提案を行った。 課題山積だった遺族にとっては、その選択肢しかないと思ったのだろう。 それはすんなり通った。 こうして、つい先日まで赤の他人であった角田が家族の主導権を握った。 さて、角田はそこまでして家族を支配下におさめて何をしたかったのだろうか。 それは、各家庭の家計を抑えてお金を得ることだった。 角田は、自分が孤立しない為には手段を選ばなかった。 中でも、息子夫婦の子どもたち、つまり祖母からみて孫にあたる人物を次々と「支配」したことは大きかった。 これでは遺族からしたら人質も同然であった。 「支配」といっても暴力ではなく、「緩急」つまりあえて優しく接することで、自分になつくようにし、親子間の関係にヒビを入れたのだ。 最終的には、息子夫婦は次々と離婚、そして孫の何人かは角田の養子となった。 こうして、若い年齢の人間と養子縁組をすることで、自分の手足となる者を増やしていくことも角田の常套手段となっていった。 角田による共同生活の結果、二人の死者が生まれた。 一人は祖母だった。 衰弱死とのことだが、虐待が行われていた可能性が高い。 もう一人は息子たちの内、長男の子どもであった。 飛び降り自殺であった。 もちろん遺体は角田によって隠された。 そんな暗黒に包まれた共同生活は、角田自身が窃盗罪の容疑で逮捕されたことから崩壊した。 共同生活している遺族の一人が角田に万引きをけしかけ、警察に密告したことから発覚したものだ。 しかし、それでも養子となった孫の一人は角田と行動を共にした。 そして角田も執行猶予つきの釈放にとどまった。 家庭の事情の国家権力は極力介入しない「民事不介入」を警察は徹底した。 ここで一点疑問が残る。 実際に死人まで出ているのに、なぜ警察は「民事不介入」としたのか。 答えは簡単だ。 遺族が黙ったからだ。 ここに、角田の「ギアス」たる所以がある。 すなわち、角田は一切自分の手を汚していないのだ。 角田は一切暴力を振るわずに家族を支配し、家族内で暴力を起こさせたのだ。 つまり、いくら角田が支配してようとも、実際に罪を犯していたのは、遺族の誰かということになる。 となると、警察に死人のことを言うことは自分を含めた家族全体の罪を認めたことになるのだ。 故に、せいぜい角田と離れることくらいしかできなかったのだ。 角田からしたら、誰も自分の罪状を訴える者がいないのだから、この一連の「家族喰い」は大成功だった。 その後も、角田は尼崎を中心に二度も「家族喰い」を行った。 乗っ取りのルーティーンは全く同じであった。 イチャモンをつけた接近、家族間の離間、そして共同生活からの暴力と搾取。 いずれも角田のシナリオ通りに進んだ。 そして、自分の味方となってくれる者も作った。 家族間で暴力が行われるので訴えられることもない。 死体は隠せばよい。 そうして、事態は終始、角田の圧倒的有利で進んだ。 警察が重い腰をあげたのは、一人の女性の訴えであった。 角田に家族を乗っ取られ、自身も暴行を受け、監禁状態にあっていたが、なんとか逃走に成功したのだ。 そして、警察に訴えたのだ。 ここで初めて警察は本格的な捜査へと乗り出したのだ。 そして、2011年11月4日、角田は逮捕された。 この後、角田の全ての罪状が警察の知るところとなったのだが、その結果、死者は8名、逮捕者は角田を含めて11名、書類送検者は17名にも及んだ。 単独犯でないあたりに、角田がいかに家族に罪を犯させ、密告させまいとしていたかがわかる。 コードギアス?尼崎事件!角田美代子の洗脳「絶対服従」事件! 角田美代子の生い立ち 以上、「 尼崎事件」についてざっと纏めたが、 角田美代子の真骨頂は「絶対服従」の仕組みを作ることにあった。 それは単に恐怖で 洗脳するだけでなく、自身の崇拝者を作ること、自分を犯罪者にしないことなど多岐に及んだ。 まさに完全犯罪が成立する一歩手前であった。 そんな角田が「絶対服従」の力を手に入れた背景には何があったのだろうか。 生い立ちから探っていきたい。 角田は、「手配師」という職業を営む父親のもとで育った。 「手配師」とは、人夫に仕事を与え、給与などを差配する仕事だ。 尼崎に集う体力自慢の荒くれた人夫を扱うには、抜群のバランス感覚を要することは想像に難くない。 父親は「手配師」として人夫を扱うだけでなく、自身の懐を利益が多く入るようピンハネする術にも長けていた。 角田の周辺にはゴリゴリの荒くれ者が多くいたと言われているが、初老を過ぎた老婆である角田が従えることができたのは、父親の姿を見ていたことが関係しているのだろう。 そんな裕福な家庭で育った角田の性格は非常にわがままだったという。 しかし、高校卒業後はスナックを経営するなど、人と接する仕事にはある程度の自信があったことがわかる。 意外なことに、わずかな期間ながら結婚生活も行っている。 女性としての幸せも求めていたのだろう。 しかし、あくなき金への渇望が原因なのか、角田は悪辣な性格へと変貌していった。 コードギアス?尼崎事件!角田美代子の洗脳「絶対服従」事件! 角田美代子の可能性 残虐極まりないことをした角田は、けして許されるべきではない。 しかし、この非凡な才能を犯罪に使ってしまったことは非常にもったいないと考える。 なぜならば、この力さえあれば、犯罪に手を染めなくても、富を得ることは十分に可能であったからだ。 角田に足りなかった点を挙げるならば、合法的に生きることをあまり考えなかったこと、そして強かさに欠けていたことだろう。 非合法な手段と取らなければ大金を得られない、とでも思ったのだろうか、卓越した能力の割に、その実行力には粗さが見える。 角田の能力ならば、暴力などなくとも、死人など出ずとも、社会でのしあがる方法はいくらでもあったはずだ。 例えば、宗教団体はどうだろうか。 角田には、教祖がうらやむような才能をいくつも有している。 宗教団体の究極の目的は教義の流布と信仰の拡大であるが、そのためには組織の維持と予算となるお金を集めることが重要となる。 角田はそれをいとも簡単にやってのける才覚を有している。 特に重要なのは、「教義なしで」それを行えることだ。 教義とは、宗教の主張そのもので、いわば大義名分に等しいものだ。 だからこそ教義を信仰する者は拡大に努められるのだろうし、教団にお金を収めることも厭わないのだろう。 しかし角田は、家族にわずかな綻びさえあれば、あっという間に取り入り、支配し、全てを自分のものにすることができるのだ。 この能力を欲しいと思わない教祖は、たとえどんなに清廉潔白であってもいない。 なぜならば、その能力こそが教団を維持するシンプルな方法だからだ。 逆に言うと、角田がとったこの「家族喰い」は、宗教的教義さえあれば、犯罪などという危ない橋を渡らずとも、容易に実行できたのではないか考える。 角田は支配の原動力に家族内の綻びや不和から生じる「後ろめたさ」を用いた。 しかし、それはあくまで消極的なものに過ぎず、隙あらば瓦解しかねないものだった。 だからこそ角田は家族を犯罪に加担させることで「後ろめたさ」のサイクルから抜け出せないようにした。 うまくいっているようにみえるが、いわばデッドオアアライブ、それも破綻するか、破滅するかの選択肢しか家族にはなかった。 それに対して、「教義」を用いた支配となれば、積極的な集金が可能となるし、犯罪に手を染める必要性も格段に下がる。 つまり、角田の「家族喰い」は宗教的活動として行ったほうが、より穏便かつ平和的なのだ。 もっとも、角田が教祖としてふさわしいとは思えない。 基本的に利己的な角田が仮に教義を掲げたところで、それを全うする可能性は低いだろう。 疑問を抱いた信者から脱退していくのがオチだ。 しかし、宗教団体の幹部としてなら、十二分に力を発揮できること間違いない。 特に新興宗教では、教祖の下で実行役となる人間のはたらきで教団の力は大きく変わる。 そういう役割を担った者が、教団内にて出世の足がかりをつかんだり、新しい教団を立ち上げた例はいくつもある。 角田はその持てあます才能を活かしきれず、短絡的な思考に奔り、人心を支配し、お金を求めた。 合法的な手段にこだわってさえいれば、今頃は別の分野で名を馳せていたことだろう。 このことによって「 尼崎事件」は事件の全貌が分からないまま、終焉することとなった。 史上に類のない逮捕者を出した事件の首謀者のあっけない最期だった。 角田のような「ギアス」 洗脳技術を持った悪魔が生まれたのは、偶然かはたまた必然か。 それはまだわからない。 被害者でも加害者でもない我々第三者にできることは、次の悪魔を生み出さないよう努力する以外にない。 故に、角田の人間形成を知ることが非常に重要となる。 人間は学習する生き物だ。 だからこそ、現代社会から何を吸収し、何を編み出したのか、詳しく知る必要があるのだ。 「犯罪しかない」と考えている荒んだ思考をしている者に対して、別の選択肢を与えてあげること、これこそが、第三者である一般市民の役割なのかもしれない。

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【尼崎連続変死・公判】ワイセツ行為にブチ切れた角田美代子「絶対に許さへん」 (2015年7月27日)

角田美代子

さらに行方不明者3名、死亡者は8名にも及びました。 主犯女X一人はどうやって大勢の人間を洗脳、支配していったのでしょう。 洗脳された人間は自分の肉親の命を奪うことも命令であれば実行してしまう恐ろしさが分かります。 主犯格・角田美代子の自殺により事件の謎は残されたままに 尼崎事件は2012年10月に発覚し、主犯格として逮捕された角田美代子は同年12月に留置所で自殺してしまいました。 美代子は布団の中で長袖のTシャツを首に巻きつけていたそうです。 発見後すぐ病院での手当を受けましたが死亡、これにより事件の真相は探れず闇の中となってしまいました。 関連する記事はこちら 尼崎事件(尼崎連続変死事件)の全貌・真相を時系列で解説! 約25年間という長期間にわたる尼崎事件の真相を順を追って見ていきましょう。 2011年11月大江家(以降F家)長女による警察への駆け込みで事件が発覚 角田美代子の兄と交際したことがきっかけで同居していた安藤みつゑさんは、2008年11月角田美代子の孫を強く叱った事で怒りを買い、角田美代子に暴行されました。 一週間ほどマンションバルコニーに設置された物置小屋に監禁され、食事は与えられていたものの睡眠制限の虐待がありました。 安藤さんには高血圧症や心臓肥大などの持病があったのです。 安藤さんの死は病死の可能性が高いとの理由から逮捕者の罪状は監禁罪のみとなりました。 遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述で発見されました。 2008年12月、D家長女死亡・死体遺棄事件発生 D家父と母は離婚させられましたが、角田美代子の元に残っていたD家長女と次女が尼崎で挨拶をしなかったと言いがかりをつけ、美代子の指示でD家長女と次女が両親を暴行しました。 そのままD家に居座った角田美代子はC家一家も高松に呼び寄せます。 2003年8月、D家父は監禁の隙をついてD家母とD家長女を逃がしましたがD家長女は途中で発見され連れ戻されました。 その懲罰として2ヶ月以上もの間、角田美代子のマンションバルコニーに設置された物置に監禁されたのです。 飲食制限や暴行などの虐待を受け2008年12月に死亡しました。 やがて虐待はF家母に集中し、2011年9月11日にF家母は死亡しました。 遺体はE家父といとこTでドラム缶にコンクリート詰めにされ、貸倉庫に放置。 今度はF家長女に虐待が集中していき10月30日未明に車の中で激しい暴行を受けました。 手足をテープで縛られワンルームマンションに閉じ込められたのです。 このままでは殺されると思いF家長女は、監視役のE家父の隙を見てテープを噛み切って脱出しました。 無事に警察へ テープを噛み切り2階の窓から飛び降りて脱出したF家長女は大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込みました。 F家長女の自身に振るわれた暴力や、F家母の死亡した話を警察は信ぴょう性があると判断し、兵庫県警へ連絡しました。

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角田美代子こと月岡美代子とは一体何者だったのか : ひとりごと 検証ブログ

角田美代子

主犯の女性らと主な被害者家族らの相関図 この事件の主犯格とされる主犯女Xは、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない人物を多く集め、疑似家族を築きながら共同生活を営んでいた。 そして、主犯女Xの周辺では、1987年頃に当時、主犯女Xと同居していた女性 (A家母)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり、事件が表に出ることはなかった。 しかし、2011年11月に主犯女Xらに監禁されていた40代女性 (F家長女)が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、主犯女XがF家長女に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親 (F家母)の死亡事件が発覚する。 さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件 (C家長男・C家母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことにより、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。 ところが、主犯女Xは、事件について多くを語らないまま、2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自殺し、事件の真相解明は極めて困難な状況になってしまう。 従犯者の供述をもとに、事件の捜査を続けてきた兵庫、香川、沖縄の各県警による合同捜査本部は 、2014年3月に解散し、捜査は事実上終結しており、確認された8名の死亡者のうち6名について、殺人や傷害致死の罪などで、主犯女Xやその親族など11名が起訴され 裁判前に自殺した主犯女Xを除き、10名に裁判員裁判が開かれた。 また、現在も主犯女Xの周辺で3名の行方が判明しておらず、1名は主犯女Xによって死亡したとされるが遺体が発見されておらず、他2名については主犯女Xから逃れているため後に行方不明となっており公開手配されている。 数ある大量殺人事件の中でも逮捕、書類送検者の数が17名と多く、その中には被害者の子や姉妹といった親族も含まれていることが、この事件の大きな特徴の一つである。 また、死亡事件以外に特筆すべき事柄として、些細な弱みにつけこんで威圧的に家族を支配する、いわば家族乗っ取り事件を主犯女Xが複数回起こしていたことも明らかになった。 そこでは、多くの人々が、親族間同士での暴力を強要されたり、飲食や睡眠を制限されるなど虐待され、さらには、財産を奪われたり、家庭崩壊に追い込まれるといった被害を受けていたことも判明している。 逮捕、書類送検者には、そういった事情により、主犯女Xに取り込まれ、疑似家族の一員となったり、否応なく、事件に関与せざるをえなくなったと思われる人物も多く含まれている。 事件関係者 (逮捕・書類送検者あるいは死亡・行方不明者のみ) 主犯女Xの関係者 主犯女X 記事中仮名:主犯女 個人情報 生誕 1948-10-12 死没 2012-12-12 (64歳没) ()本部の留置所 死因 有罪判決 ・ほか 判決 なし(自殺により) 殺人詳細 犠牲者数 多数 犯行期間 頃— 国 逮捕日 【逮捕・死亡】 1948年生まれ 2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自殺している (主犯女Xの自殺を参照)。 1件の傷害致死罪などで起訴されていたが、死亡により公訴棄却になった。 ほぼ全ての事件で、逮捕、書類送検されている。 主犯女Xの義理の妹P(A家長男の妻)【逮捕】 1953年生まれ。 主犯女Xとは幼少の頃からの付き合いで、数十年間共同生活していた。 1998年に主犯女Xの母と養子縁組を結び、主犯女Xの義理の妹になっている。 2001年に主犯女Xの指示で、A家長男と結婚している。 主犯女Xの金庫番のような役割を担っており 、主犯女Xに信頼を置かれ 、また他の同居人と比べて、事件の実行行為に関与することを極力控えさせられるほど大事にされていたそうであるが、一連の事件発覚に繋がる3遺体の遺棄場所を最初に自供したのは、この人物であると言われている。 主犯女Xの指示で集団生活の日記をつけており、暴行・虐待は書かれていないが、死亡時期と符合するように被害者の名前が出てこなくなっているという。 主犯女Xの次男Sの生みの親と言われている。 C家長男・C家母年金窃盗事件では、一審で懲役2年の実刑判決を受けている。 3件の殺人罪などで起訴されて、懲役21年の判決を受けている。 主犯女Xの内縁の夫Q【逮捕】 1949-1950年生まれ。 主犯女Xとは、20代の頃からの付き合いで 、長く内縁関係が続いたが、虐待されることもあったといい、従属的な間柄であったと思われる。 3件の殺人罪などで起訴されて、懲役21年の判決を受けている。 主犯女Xの義理の長男R(B家母の四男の三男)【逮捕】 1982年生まれ。 もとは主犯女Xの遠縁にあたるB家の人間だったが、主犯女Xにより家庭崩壊に追いやられ、主犯女Xのもとで生活をするようになった。 1999年に主犯女Xの養子になっており、2005年には改名もしている。 主犯女Xからは比較的に大事にされていたと思われる。 3件の殺人罪などで起訴されて、懲役21年の判決を確定している。 主犯女Xの次男S(D家次女の夫)【逮捕】 1986年生まれ。 戸籍上は主犯女Xの実子だが、関係者によると、産みの親は主犯女Xの義理の妹Pであるという。 2007年にD家次女と結婚しており、子供が2人いる。 主犯女Xからは大事にされ、虐待行為などは受けたことがないと思われるが、日常生活では行動を監視されるなど、息苦しさを感じていたと話している。 2件の殺人罪などで起訴され、懲役17年の一審判決が確定している。 主犯女Xの義理のいとこ男性T(C家長男の元妻の連れ子)【逮捕】 1974年生まれ。 幼少期に母親がC家長男と再婚し、後に激しく暴力を振るうことになるC家やD家の人達とも親交があった。 2002年頃に主犯女Xと知り合って以降、主犯女Xのもとで生活をするようになる。 背中に入れ墨があり、主犯女Xの指示で、周囲に激しく暴力を振るうなど「主犯女Xの暴力装置」 として恐れられた。 2004年に主犯女Xの叔父と養子縁組を結び、主犯女Xとは義理のいとこ関係になっている。 F家母死亡・死体遺棄事件では、F家母に対する死体遺棄罪などで、2012年9月に懲役2年6月の刑を受けており 、一連の事件発覚時は服役中だった。 3件の殺人罪と1件の傷害致死罪などで起訴され、無期懲役判決が確定している。 主犯女Xの同居人女性U(主犯女Xの兄の元交際相手)【死亡】 1941年生まれ。 主犯女Xの兄と交際したことがきっかけで、主犯女Xと知り合うことになったと思われる。 家政婦的な存在として、主犯女Xと長らく共同生活をしていた。 2000年に主犯女Xが自宅マンションを購入する際の連帯債務者になっている。 2008年11月頃に死亡したとされ、その死亡に関して、7名が監禁罪で起訴されている (主犯女Xの同居人女性U死亡・死体遺棄事件を参照)。 主犯女Xの同居人男性V(D家長女の夫)【逮捕】 1969年生まれ。 沖縄県出身で、東京に出て働いていた。 2006年頃に友人のA家次男に誘われて、主犯女Xと共同生活をするようになるが、しばしば、主犯女Xらから暴力を振るわれるなどの虐待行為を受けていたらしい。 2007年に主犯女Xの指示で、D家長女と結婚している。 日常的に主犯女Xの運転手役を務めていたという。 2件の殺人罪などで起訴され、懲役15年の一審判決が確定している。 A家 A家母と子供3人が主犯女Xの実家を間借りして生活していたことがある。 また1980年代中頃までに、再び家族4人で、主犯女Xらと共同生活を始める。 A家母【行方不明】 1927-1928年生まれ。 1987年頃に殺害され、尼崎の海に遺体を遺棄されたとの証言がある。 当時は子供3人(A家長男、A家次男、A家長女)とともに主犯女Xらと共同生活をしていたと思われる (A家母失踪事件を参照)。 2014年2月に逮捕者の供述に基づいて、遺体が遺棄されたとされる現場が捜索された が、発見には至らなかった。 2006年に失踪宣告を受け、1994年に66歳で戸籍上は死亡扱いになっている。 A家長男(主犯女Xの義理の妹Pの夫)【死亡】 1953-1954生まれ。 主犯女Xらと共同生活をしていた。 2000年に主犯女Xが購入したマンションの名義上の所有者になっている。 2001年に主犯女Xの指示で、主犯女Xの義理の妹Pと結婚したが、結婚は形式的なものであったとされる。 2005年に沖縄県で転落死し、当時は事故として処理されたが、事件発覚後の捜査で、保険金目的で自殺を強要された疑いのあることが判明している。 その死亡に関して、6名が殺人と詐欺罪で起訴されている (A家長男転落死・保険金詐欺事件を参照)。 A家次男【死亡】 1958年生まれ。 兄(A家長男)と同じく主犯女Xらと共同生活をしていたが、何度か東京などへ逃亡しており、その度に、発見され、連れ戻されていたことが確認されている。 2011年7月頃に死亡したとされ、その死亡に関して、7名が死体遺棄罪で起訴、その7名のうち、主犯女Xの次男Sを除いた6名が殺人と逮捕監禁罪で起訴されている (A家次男死亡・死体遺棄事件を参照)。 B家 1998年3月頃、B家母の姉の葬儀をめぐって、遠縁の主犯女Xに難癖をつけられる B家母【死亡】 1925-1926年生まれ。 B家乗っ取り事件のさなかの1999年に病死しているが、死亡前には親族らによる暴行や飲食制限などの虐待を受けていたとの話もある。 2000年にB家親族らと主犯女Xによる窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして、事件化されることはなかった (B家母不審死事件を参照)。 B家母の長男の長男【死亡】 1974-1975年生まれ。 B家乗っ取り事件のさなかの1999年に、当時軟禁されていたマンションから飛び降り自殺したとされる。 主犯女Xにより行われていた「親族会議」の最中に、突然走り出し、飛び降りたとの証言もある。 2000年にB家親族らと主犯女Xによる窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして、事件化されることはなかった (B家母の長男の長男転落死事件を参照)。 主犯女Xの義理の長男Rの兄(B家母の四男の長男)【行方不明】 1975-1976年生まれ。 2000年3月頃から行方不明になっているが、何らかの事件に巻き込まれたといった話は出ておらず、自発的な失踪であると思われる。 2014年2月に公開手配されている。 C家・D家 C家長男が主犯女Xの内縁の夫Qと中学の同窓生だったことが、主犯女Xと関わるきっかけになる。 また、C家母の長女は高松市のD家に嫁いでいた C家母【死亡】 1924年生まれ。 2003年3月に死亡したとされ、その死亡に関して、死亡者を含めて9名が傷害致死容疑で書類送検されたが、既に傷害致死罪の公訴時効が成立しており、いずれも不起訴処分になっている (C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 C家長男【書類送検】 1942-1943年生まれ。 かつて、主犯女Xの義理のいとこ男性Tの母親と結婚していたことがある(ただし、Tは母親の連れ子で血縁関係はない)。 2001年頃に主犯女Xと知り合い、共同生活をすることになるが 、主犯女Xにより、当時務めていた学校用務員の仕事を退職させられ、その退職金の多くを奪われている。 その後、主犯女Xのもとから逃亡していた。 C家母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている (C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 C家次男【死亡・書類送検】 1948-1949年生まれ。 2002年頃に主犯女Xと共同生活を始めたとされるが、2007年に同居人のA家次男とともに東京へ逃亡している。 その後、2010年2月に潜伏先でガンにより病死しているが、事件性はないとされる。 1件の殺人と、2件の傷害致死容疑などで書類送検された。 C家次女【行方不明・書類送検】 1952-1953年生まれ。 2002年末頃に後述のC・D家乗っ取り事件に巻き込まれたと思われる。 2003年10月頃から行方不明になっているが、何らかの事件に巻き込まれたといった話は出ておらず、自発的な失踪であると思われる。 2014年2月に公開手配されている。 C家母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている (C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 C家孫【書類送検】 1980-1981年生まれ。 C家母(当人の祖母)の傷害致死容疑で書類送検されたが、公訴時効成立につき不起訴処分になっている (C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 D家母(C家母の長女)【死亡・書類送検】 1949-1950年生まれ。 C家母の長女で、香川県高松市のD家に嫁いでいたが、C・D家乗っ取り事件で、夫とは離婚に追いやられてしまう。 2003年8月に単独で逃亡し、4年ほど和歌山県のホテルで住み込み仲居の仕事をしていたが、2007年末に主犯女Xや娘らに居場所を発見され、尼崎に連れ戻された (D家母連れ去り事件を参照)。 2008年3月に意識不明の状態で病院に運ばれ、意識が戻ることなく、2009年6月に肺炎で病死している。 その死亡に関して、1名が傷害致死罪で起訴されている (D家母不審死事件を参照)。 当人もC家母(当人の母親)の傷害致死容疑で書類送検された (C家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 D家長女(主犯女Xの同居人男性Vの妻)【死亡・書類送検】 1982年生まれ。 当時はIT企業でウェブデザイナーとして活躍していた。 しかし、C・D家乗っ取り事件により、主犯女Xらと共同生活をするようになるが、主犯女Xからは冷遇され、虐待を受けることも多かったという。 主犯女Xのもとから2度逃亡しており、1度目の逃亡では、2004年3月頃から2006年12月頃までの約3年間、居酒屋でアルバイトをしつつ大阪府枚方市内のアパートで1人暮らしをしていた。 2007年に主犯女Xの指示で、主犯女Xの同居人男性Vと結婚している。 2008年12月に死亡したとされ、その死亡に関して、7名が殺人と監禁罪で起訴されている (D家長女死亡・死体遺棄事件を参照)。 当人も3件の傷害致死容疑などで書類送検された。 D家次女(主犯女Xの次男Sの妻)【逮捕】 1985年生まれ。 当時は名門高校に通う優等生で、明るく優しい性格だったが、C・D家乗っ取り事件により、洗脳されたかのように主犯女Xに心酔し、主犯女Xらと共同生活をするようになる。 主犯女Xから優遇されていたが、初期の頃は虐待行為を受けることもあったという。 常に主犯女Xと行動を共にし、主犯女Xの片腕的な存在ぶりを周囲に見せていた。 2007年に主犯女Xの次男Sと結婚し、子供も2人いる。 C家長男・C家母年金窃盗事件で、一審で懲役2年の実刑判決を受けている。 3件の殺人罪などで起訴され、懲役23年の実刑判決を受けている。 D家父の兄(D家母の元夫の兄)【死亡】 1944年生まれ。 後述のC・D家乗っ取り事件で、虐待を受けていた弟(D家父)一家を助けようとしていたが、主犯女Xらに弟の家で軟禁状態にされ、勤務していた工場を退職したり、突然妻に「離婚する」とつきつけてきたりといった異変がみられるようになった。 2003年10月に、主犯女Xらが尼崎に引き返す際も同行し、共同生活をしていたと思われる。 その後、2004年1月に主犯女Xの自宅マンションで死亡したとされる。 その死亡に関して、8名が傷害致死容疑で書類送検されたが、嫌疑不十分や、被疑者死亡でいずれも不起訴処分になっている (D家父の兄死亡・死体遺棄事件を参照)。 E家・F家 当時、大手私鉄会社に勤めていたE家父が、主犯女Xのクレームに対応したことがきっかけ。 E家母はF家母の次女。 E家父【逮捕】 1969-1970年生まれ。 大手私鉄会社に勤めていたが、2009年春に主犯女Xのクレームに対応して以降、主犯女Xにより家庭に介入され、E・F家乗っ取り事件に発展する。 主犯女Xにより退職、転居、離婚を強要されるなど家庭は崩壊し、最後は元妻と次女の3人で無理心中をさせられる寸前にまで追い込まれた。 F家母(元妻の実母)に対する傷害致死罪などで起訴されており、大阪高裁で受けた懲役3年執行猶予5年の刑が確定している (F家母死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。 E家母(F家母の次女)【逮捕】 1970年生まれ。 F家母の次女で、E家に嫁いでいた。 後述のE・F家乗っ取り事件で、主犯女Xにより離婚、転居を強要されるなど、家庭に介入され、最後は元夫と次女の3人で無理心中をさせられる寸前にまで追い込まれた。 2011年11月に警察に保護された時の体重は、虐待により35キロほどになっていたという。 F家母(当人の実母)に対する傷害致死罪などで起訴されており、一審、二審で懲役2年執行猶予3年の判決を受けたが、これを不服として上告している (F家母死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。 F家母【死亡】 1944-1945年生まれ。 後述のE・F家乗っ取り事件で、2011年9月11日に死亡する。 食事制限などの虐待により、体重は22キロほどになっていたという。 その死亡に関して、3名が傷害致死罪などで起訴されている (F家母死亡・死体遺棄事件を参照)。 F家長女【逮捕】 1968年生まれ。 後述のE・F家乗っ取り事件で、F家母の死亡後は、集中的に暴力を受けるようになっていたが、監禁状態から隙をみて脱走し、警察に駆け込んだことが、一連の事件が発覚する端緒となった。 F家母(当人の実母)に対する傷害致死罪などで起訴されており、一審、二審で懲役3年執行猶予4年の判決を受けたが、これを不服として上告している (F家母死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。 主要事件一覧 (死亡、あるいは、その可能性が高いとされる事件、または2011年11月以降に起訴された主要事件) A家母失踪事件(1987年頃) A家母は、2006年に長男(A家長男)の妻(主犯女Xの義理の妹P)による失踪宣告申し立てにより、1994年5月に66歳で戸籍上死亡扱いとされているが、主犯女Xの親族らの供述によると、A家母は1987年頃に、主犯女Xの自宅などで、家族らから暴行を受けて死亡し、尼崎市の海に遺体を遺棄された、とのことである。 2014年2月にこれらの供述に基づいて、遺体が遺棄されたとされる現場を捜索したが、発見には至らず、捜索は打ち切られた。 なお、この事件では殺人罪の公訴時効が成立していると思われる。 B家母不審死事件(1999年) 後述のB家乗っ取り事件のさなかの1999年に病死しているが、死亡前には、親族らによる暴行や飲食制限などの虐待を受けていたとの話もある。 2000年にB家親族らと主犯女Xによる窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして、事件化されることはなかった。 B家母の長男の長男転落死事件(1999年) 後述のB家乗っ取り事件のさなかの1999年に、当時軟禁されていた兵庫県西宮市のマンションから飛び降り自殺したとされる。 主犯女Xにより行われていた「親族会議」の最中に、突然走り出し、飛び降りたとの証言もある。 2000年にB家親族らと主犯女Xによる窃盗事件が発覚した際に、この死亡に関しても捜査が行われたが、不審な点は見当たらなかったとして、事件化されることはなかった。 C家母死亡・死体遺棄事件(2003年3月) 後述のC・D家乗っ取り事件のさなかである2003年3月に、主犯女Xの自宅マンションで、主犯女Xらにより、飲食制限などの虐待や暴行を受けた末に死亡したとされる。 遺体は高松市のD家の家屋に隣接する倉庫の床下地中に遺棄された。 死亡前の2003年2月頃には、D家の家でも、暴行や、虐待行為が確認されている。 2012年12月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女X、主犯女Xの義理のいとこ男性T(事件当時はまだいとこ関係ではない)、C家長男(被害者の長男)、C家次男(被害者の次男)、C家次女(被害者の次女)、C家孫(被害者の孫)、D家母(被害者の長女)、D家長女(被害者の孫)、D家次女(被害者の孫)ら9名が傷害致死容疑で書類送検されたが、傷害致死罪での公訴時効が成立しており、いずれも不起訴処分になっている。 D家父の兄死亡・死体遺棄事件(2004年1月) 2004年1月に主犯女Xの自宅マンションで、主犯女Xらにより、食事制限などの虐待や暴行を受けた末に死亡したとされる。 遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。 2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女X、主犯女Xの義理の妹P、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、C家次男、D家長女(被害者の姪)、D家次女(被害者の姪)ら8名が傷害致死容疑で書類送検されたが、司法解剖で死因が特定できず、虐待行為の詳細が解明できなかったことから嫌疑不十分で、あるいは被疑者死亡により、いずれも不起訴処分になっている。 A家長男転落死・保険金詐欺事件(2005年7月1日)(起訴案件) 2005年7月1日に、沖縄県恩納村の景勝地「万座毛」の崖から、記念撮影中に転落死する。 当時は事故として処理されたが、事件発覚後の捜査により、主犯女Xらから自殺を強要され、自ら飛び降り、死亡した疑いがあることが、明らかになっている。 死亡の数カ月前から、主犯女Xらにより、執拗に自殺するよう迫られており、死亡前日には「お別れ会」まで開かれていた。 さらに、被害者には多額の死亡保険金がかけられており、被害者の妻(主犯女Xの義理の妹P)に、保険会社4社から計約7700万円が支払われた。 また、被害者が名義上所有していた主犯女Xの自宅マンションの残りローン約3000万円も完済された。 この事件では、主犯女Xの義理の妹P(被害者の妻)、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、主犯女Xの義理のいとこ男性T、D家次女ら6名が殺人と保険金詐欺で逮捕、同罪で起訴されている。 また、既に死亡している主犯女X、C家次男の2名が、同容疑で書類送検された。 D家母連れ去り事件(2007年12月)(起訴案件) D家母は、後述のC・D家乗っ取り事件で、虐待を受けていたさなかの2003年8月に、共に虐待を受けていた元夫の助けで、単独での逃亡に成功し、その後、和歌山県のホテルで住み込み仲居の仕事をしていた。 ところが、2007年末に車を購入するために住民票を移したことで、主犯女Xらに居場所を特定され、勤務先のホテルに現れた主犯女Xや娘らによって、尼崎に連れ去られてしまう。 この事件では、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、主犯女Xの義理のいとこ男性T、D家次女(被害者の次女)ら5人が、加害目的略取容疑で逮捕、同罪で起訴されている。 しかし、主犯女Xの義理の妹Pと主犯女Xの同居人男性V(被害者の長女の夫)の2名も同容疑で逮捕されていたが、主犯女Xの義理の妹Pは同幇助罪での起訴、そして、主犯女Xの同居人男性V(被害者の長女の夫)は「従属的な立場だった」として不起訴処分(起訴猶予)になっている。 また、既に死亡している主犯女X、D家長女(被害者の長女)ら2名が、加害目的略取容疑で書類送検された。 主犯女Xの同居人女性U死亡・死体遺棄事件(2008年11月)(起訴案件) 2008年11月、主犯女Xの孫を強く叱ったことで、主犯女Xの激しい怒りを買い、主犯女Xに暴行され、1週間ほど主犯女Xの自宅マンションのバルコニーにあった物置に監禁され、睡眠を制限されるなどの虐待を受けていたさなかに死亡したとされる。 遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。 2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女Xの義理の妹P、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、主犯女Xの義理のいとこ男性T、主犯女Xの同居人男性V、D家次女ら7名が傷害致死と監禁容疑で逮捕された。 しかし、監禁期間が1週間程と短期間だったことや、食事も与えられていたことに加えて、被害者には高血圧症や心臓肥大などの持病があり、「病死の可能性が高く、虐待行為で死期が早まったと言えない」などとして、逮捕者7名全員が、傷害致死罪については嫌疑不十分として不起訴処分になり、監禁罪のみで起訴されている。 また、既に死亡している主犯女Xが傷害致死と監禁容疑で書類送検された。 D家長女死亡・死体遺棄事件(2008年12月)(起訴案件) 2008年7月頃に夫(主犯女Xの同居人男性V)と一緒に主犯女Xのもとから逃亡したが、すぐに発見されて連れ戻された。 そして、その懲罰として 、少なくとも断続的に2カ月以上もの間、主犯女Xの自宅マンションのバルコニーにあった物置で、主犯女Xらにより監禁されながら、飲食制限や暴行などの虐待を受け、2008年12月頃に死亡したとされる。 遺体はC家母の家の床下地中に遺棄された。 2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女Xの義理の妹P、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、主犯女Xの義理のいとこ男性T、主犯女Xの同居人男性V(被害者の夫)、家次女(被害者の妹)ら7名が殺人と監禁容疑で逮捕、同罪で起訴されている。 また、既に死亡している主犯女Xが同容疑で書類送検された。 D家母不審死事件(2009年6月)(起訴案件) 2008年3月に意識不明の状態で病院に運ばれ、急性硬膜下血腫と診断され、そのまま意識が戻ることがなく、2009年6月に肺炎で病死している。 当時は事件性がないと判断されていたが、事件発覚後の捜査で、病院に運ばれる直前の2008年2~3月に、頭を強く揺さぶられるなどの暴行を受けていた疑いがあることが明らかになっている。 この事件では、主犯女Xの義理のいとこ男性T、D家次女(被害者の次女)、主犯女Xの同居人男性V(被害者の長女の夫)ら3名が傷害致死容疑で逮捕された。 しかし、D家次女(被害者の次女)、主犯女Xの同居人男性V(被害者の長女の夫)ら2名は「死に直結する暴行ではなかった」として不起訴処分になり、主犯女Xの義理のいとこ男性Tのみが同罪で起訴されている。 また、既に死亡している主犯女X、D家長女(被害者の長女)ら2名が同容疑で書類送検された。 A家次男死亡・死体遺棄事件(2011年7月下旬)(起訴案件) 2011年7月下旬に同居人とトラブルになり、それに激高した主犯女Xらにより激しく暴行され、主犯女Xの自宅マンションのバルコニーにあった小屋に閉じ込められ、飲食を制限されるなどの虐待を受けながら、数日後に死亡したとされる。 遺体はドラム缶にコンクリート詰めにされ、最終的に岡山県の海中に遺棄された。 2012年10月に関係者らの証言に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女X、主犯女Xの義理の妹P、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの次男S、主犯女Xの義理のいとこ男性T、主犯女Xの同居人男性V、D家次女ら8名が死体遺棄容疑で逮捕、同罪で起訴された。 さらに、殺人と逮捕監禁容疑で、主犯女X、主犯女Xの義理の妹P、主犯女Xの内縁の夫Q、主犯女Xの義理の長男R、主犯女Xの義理のいとこ男性T、主犯女Xの同居人男性V、D家次女ら7名を逮捕するが、主犯女Xはその後に自殺したため、被疑者死亡で不起訴処分になり、それ以外の6名が同罪で起訴されている(死体遺棄罪で起訴された主犯女Xの次男Sは、死亡前後、岡山県に滞在していたため、死亡事件への関与は認められなかった)。 F家母死亡・死体遺棄事件(2011年9月11日)(起訴案件) 後述のE・F家乗っ取り事件のさなかである2011年9月11日に、当時、被害者が居住していたワンルームマンションで、主犯女Xらによる飲食制限などの虐待や暴行を受けた末に死亡したとされる。 遺体はドラム缶にコンクリート詰めにされ、主犯女Xの内縁の夫Qが借りていた貸倉庫に放置された。 2011年11月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見される。 この事件では、主犯女X、主犯女Xの義理のいとこ男性T、E家父(被害者の次女の元夫)、F家長女(被害者の長女)、E家母(被害者の次女)ら5名が死体遺棄容疑で逮捕、同罪で起訴されている。 さらに、主犯女X、E家父(被害者の次女の元夫)、E家母(被害者の次女)、F家長女(被害者の長女)ら4名が殺人と監禁容疑で逮捕されたが、殺人を裏付ける十分な証拠がないとして殺人罪の適用は見送られ、傷害致死と監禁罪で起訴されている。 この事件での裁判が行われているが、これについては後述する (F家母死亡・死体遺棄事件裁判を参照)。 C家長男・C家母年金窃盗事件(起訴案件) 2010年2月から2012年4月にわたって、C家長男とC家母の銀行口座から無断で、年金計794万円が引き出されたとされる。 この事件では、D家次女、主犯女Xの義理の妹Pら2名が、2012年8月から10月にかけて、窃盗容疑で逮捕され、同罪で起訴された。 主犯女Xの周辺で複数の行方不明者が浮かんだが、身柄拘束されていた主犯女Xや主犯女Xの義理のいとこ男性T以外に事件を知りうる人物への事情聴取は任意捜査では難航していたため、身柄拘束による聴取のための別件逮捕とされている。 一連の事件の捜査が進展したのは、この件で逮捕された2名の供述によるところが大きかったとされる。 2013年3月に2名とも一審で懲役2年の実刑判決を受けている。 続報がないので、この判決で確定したものと思われる。 家族乗っ取り事件 現在、主犯女Xによる家族乗っ取り事件は、大きく分けて3件確認されている。 また、A家母が失踪した1987年頃にも、A家が主犯女Xに乗っ取られた状況だったと思われる節があるが、関係者の多くが死亡しており、情報はほとんど出ていないので、ここでは省略する (A家母失踪事件を参照)。 3件の家族乗っ取り事件は、細部は違うところもあるが、概ね同じような経過を辿っている。 また、家庭崩壊に至った家族は、近所の証言などによれば、いずれも家族仲は決して悪くはなく、大きな問題もない幸せな家族だったということである。 B家乗っ取り事件(1998年3月~2000年1月) 1998年3月、主犯女Xの遠縁にあたるB家母の姉の葬儀が行われた。 その葬儀に関して、参列していた主犯女Xが「段取りが悪い」などとB家母らに難癖をつけてきた。 主犯女Xは、B家母や滋賀県や京都府に住んでいたB家母の息子夫婦、B家母の兄らを、頻繁に兵庫県尼崎市内のB家母の家などに集め、問題解決のための会議をさせた。 暴力団の存在をほのめかしつつ、威圧的に会議を取り仕切る一方で、けがをした人物の世話をしたり、借金を抱えていた人物の相談に乗るなど、B家親族への影響力を強めていった。 さらに、主犯女Xは、親族らに互いの不満を言い合わせるようになり、やがて親族同士で暴力や虐待を行わせるようになる。 最初に矛先となったのはB家母で、叩かれたり、長時間立たされたり、飲食の制限をされるなどの虐待を受けていた。 そして、暴力や虐待を加えていたのは、主に息子達で、主犯女Xは指示するのみで、直接手を出すことはなかったという。 B家母の孫(B家母の息子夫婦の子供)らも主犯女Xに呼び出され、しばらくすると、主犯女Xと親しくするようになり、親には反抗的な態度をとるようになった。 B家母の息子夫婦らは自身の子供を人質にとられた状態になり、一層、主犯女Xとは隷属的な関係に陥ってしまったのではないかと思われる。 こうして支配を強めていった主犯女Xは、様々なことを口実にして、息子らに退職を強要したり、家を売らせたりもしており、おそらく退職金や家の売却金を奪ったと思われる。 ある親族の借金の肩代わりと称して、葬儀トラブルとは無関係の高知市の親類が、主犯女Xらに押しかけられて、やむなく千数百万円を渡したという話もある。 やがて、B家親族らは、兵庫県西宮市にマンションを借り、そこで集団生活をさせられるようになる。 また、その頃主犯女Xは、B家母息子夫婦を次々に離婚させ、さらには、孫のうち2名を養子にしている。 集団生活から脱走する者も続出したが、その多くは、他の親族らに居場所を発見され、連れ戻されていたという。 B家親族らが、そういった主犯女Xの支配を受けるさなか、2名が不審な死を遂げている。 1名はB家母で、1999年3月に病死しているが、日常的に暴力や虐待を受けていたという話もある。 もう1名はB家母の長男の長男で、1999年12月に当時軟禁状態だった兵庫県西宮市の高層マンションから飛び降り自殺している。 こういった異常な状況に対し、虐待の事実を知った近隣住民が、警察に通報することもあったが、被害者が、主犯女Xによる身内への報復を恐れて、被害を訴えようとしなかった。 また、被害者の中には、警察に何度か相談する者もいたが、親族間の揉め事と処理されるなどして、一度も事件化されることはなかった。 そんな警察の対応に業を煮やし、それなら警察に動いてもらうために事件を起こしてやろう、と考えた者がいた。 B家母の甥(B家母の兄の息子にあたる人物)である。 B家母の甥は主犯女Xに窃盗をやろうと提案した。 主犯女Xは、その話に乗り、B家親族らに窃盗をさせるようになった。 そして2000年1月、B家母の甥は警察に窃盗行為を告白し、自らも含めて、主犯女XとB家親族らは窃盗容疑で逮捕される。 この逮捕により、B家親族らは、主犯女Xから解放されることとなった。 ところが、主犯女Xと養子縁組をしていた2名のうち、1名は縁組を解消したが、もう1名はそれ以降も主犯女Xと縁組を解消せずに、最後まで共同生活を続け、一連の事件で殺人罪などで起訴されている (主犯女Xの義理の長男Rの欄を参照)。 C・D家乗っ取り事件(2002年頃~2003年10月) 2002年頃、経緯は不明だが、C家長男、C家次男と主犯女Xの義理のいとこ男性T(C家長男の元妻の連れ子。 2002年11月、C家長男は主犯女Xにより学校用務員の仕事を辞めさせられ、退職金の多くを奪われていた。 そして、C家長男が主犯女Xに借金をしていると称して、その返済をめぐって、C家母やC家次女が、金策に追われているらしき様子が確認されている。 2003年2月、尼崎市の実家に帰省していたD家母(C家母の長女)が高松市の夫(以降、D家父)に泣きながら「迎えにきて」と電話をしてきた。 D家父が尼崎に出向くと、主犯女Xから、Tを更正のために預かってくれと頼まれた。 Tとは面識があり、少年時代には親しくしていたこともあったが、年頃の娘がいたこともあり、一旦は断ったものの、どうしてもと強く頼まれ、結局、高松市に連れ帰ることになった。 しかし、Tは高松市のD家の家で、金銭を要求したり暴れたりしたために手に負えなくなり、数日後にD家父は主犯女Xに、これ以上預かることができないと電話をした。 すると、主犯女Xは、預かることができなかったことに対して怒り、自分の身内やD家母の親族(C家母やC家長男、C家次男、C家次女など)ら10人ほど連れて、高松市の家に押しかけてきた。 有無を言わせぬ状況で、家に居座り始め、Tの面倒を見ることができない代償や、C家長男の借金問題を口実に、金を工面するよう求め、D家の親族も集めて会議をさせた。 会議では、主犯女Xの指示により、親族同士の暴力や虐待が行われた。 主にその対象となったのはC家母だったという。 また、当時20歳のD家長女と17歳のD家次女も両親(D家父、D家母)への暴力を強要され、やがて、D家次女は主犯女Xに心酔するようになり、通っていた名門高校を中退した。 D家は、親戚からかき集めるなどして、約2000万円を主犯女Xに渡した。 さらに、話し合いの末に、D家父とD家母は離婚することになった。 そして、40日程居座った主犯女Xらは尼崎に引きあげた。 D家母は、娘2人を連れて尼崎市に転居したが、他の親族らとともに、主犯女Xのもとで生活をしていたようである。 またその時期の2003年3月に、主犯女Xの自宅マンションで、C家母が暴行や虐待の末に死亡している。 それから一月ほど経った2003年5月、一人で暮らすD家父のところへ、主犯女Xが「D家母がだらしないから迎えにこい」と、電話をかけてきた。 D家父が尼崎に出向いて、D家母を高松に連れて帰ると、その直後に主犯女XがD家長女とD家次女を伴い、やってきた。 そして、尼崎で主犯女Xに挨拶をしていなかったということで、D家長女とD家次女が両親を責めて暴行を加えた。 さらに、主犯女Xは、再び身内やT、そしてC家の親族を高松に呼び寄せ、D家に居座り始めた。 以前と同じように、金銭を要求され、D家父やD家母への暴力、虐待も行われた。 暴力を振るっていたのは、主に娘やTだったという。 D家父の兄が心配して来てくれたが、軟禁状態にされ、しばらくすると、主犯女Xの指示で、弟のD家父に暴力を振るうようになっていった。 こうした状況に対して、被害者やその親族、近隣住民らからの警察への通報、相談は合計36回あったが、主に暴力を振るっていたのが、娘ら身内であることから、被害届を出すのに消極的だったり、また、金銭問題などは親族間の問題として、いずれも事件化されることはなかった。 2003年8月、D家父は監視の隙をついて、D家母とD家長女を逃がしたが、D家長女は途中で発見され、連れ戻されてしまった。 以降、さらにD家父への暴力は酷くなり、身の危険を感じたD家父は一旦、家を離れることを決意し、9月に家を出て、親類宅などに避難した。 標的を失った主犯女Xらが、娘らを解放して、尼崎に戻るのではないかと意図しての行動だったが、しばらくしてから戻ってくると、家はもぬけの殻になっていた。 10月頃に主犯女Xらが尼崎に引き上げた際に、娘や兄も連れ帰っていた。 E・F家乗っ取り事件(2009年4月~2011年11月) 2009年4月、主犯女Xが「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」と鉄道会社にクレームをつけた。 これに対応したのが、当時その会社に勤めていたE家父だった。 謝罪のため、E家父は上司と一緒に、何度も主犯女Xの自宅マンションに足を運んだ。 主犯女Xは、話し合いの場に、主犯女Xの義理のいとこ男性Tを同席させ、「この子は元ヤクザ。 怒らせると何するかわからんで」と脅かす一方で、E家父が話し合い中に一度も時計を見なかったことを褒めるなどして、徐々にE家父を取り込んでいった。 やがて、E家父は、家族や将来の夢などプライベートな話を主犯女Xにするようになり、妻(E家母)や2人の娘とともに、家族ぐるみで付き合うようになった。 しかし、主犯女XはE家父の日頃から抱いていた喫茶店を開きたいという夢を聞き出すと、E家父にその夢を実現させる為として執拗に退職を迫るようになった。 主犯女Xらに会社にまで乗り込まれるなどされて、2010年4月にE家父は退職するに至ってしまった。 その後も主犯女XのE家への過剰な干渉は続き、何かにかこつけては、E家父やE家母を頻繁に呼び出した。 そして、E家父が事前の約束を破って競馬をしていたことや、浮気話をE家母から聞いた主犯女Xは、二人に離婚を迫るようになった。 そのことで、E家夫婦家族やF家母が住んでいた尼崎市内の二世帯住宅にF家母(E家母の実母)やF家長女(E家母の姉)、E家父の親族らも集められ、家族会議が開かれた。 主犯女Xが会議を取り仕切り、2010年11月に二人は離婚する。 なおも、主犯女Xの干渉は続いた。 E家父を主犯女Xの自宅マンションに隣接するワンルームマンションに引っ越させ、さらに、離婚のことで近所に変な噂がたっていると理由づけて、二世帯住宅に住んでいたE家母や子供達そしてF家母を転居させた。 そして、再び親族らを集め、子供の養育問題について家族会議を開かせた。 家族会議は連日、徹夜で開かれることもあった。 会議では、些細なことで、E家父やE家母が吊し上げられ、時には、飲食の制限などの虐待や、親族同士で暴力を振るわせることもあった。 また、この会議では、親族関係にない主犯女XやTも、E家父らに暴力を振るうことがあったという。 そうしているうちに、2011年初、当時小学6年生と小学4年生だった2人の娘は、主犯女Xに懐き、主犯女Xの自宅マンションで暮らすようになり、両親を敬遠するようになっていた。 2011年6月、東京の親類のところへ身を隠していたF家母が連れ戻された。 E家父のワンルームマンションでE家父、E家母、F家長女、F家母、そしてE家父の次女ら5人で共同生活をさせ、子供の養育費の捻出や二世帯住宅の処分などについて話し合いをさせた。 E家父の長女だけは、主犯女Xに優遇され、主犯女Xの自宅マンションで起居した。 睡眠や食事、トイレは主犯女Xの許可が必要になり、それを守らなかったり、家族会議の発言内容次第で、他の親族や主犯女Xらに暴力を振るわれた。 やがて、虐待されている者同士で互いを監視するような状況になったという。 そして、F家母に暴力や虐待が集中するようになり、2011年9月11日に死亡する。 遺体は、E家父とTでドラム缶にコンクリート詰めにされ、貸倉庫に放置された。 F家母の死亡後は、F家長女に暴力が集中するようになった。 10月30日未明、車の中で主犯女XやE家父から何度も顔を殴られたり、タバコの火を押し付けられるなどの激しい暴力を受け、手足をテープで縛られ、ワンルームマンションに閉じ込められた。 玄関には内鍵がかけられており、その開錠番号は知らなかった。 「このままでは殺される」と確信したF家長女は、寝入っている監視役のE家父の隙をうかがい、手足のテープを噛み切って、2階の窓から飛び降り逃走した。 そして、大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込んだ。 自身が受けた暴力や、F家母が死亡したことを警察に話し、話に信憑性があると判断した大阪府警は兵庫県警に連絡した。 一方、F家長女の逃走後、事件の発覚を恐れた主犯女Xは、全ての罪をなすりつけるために、E家父に遺書を書かせ、E家母と次女とともに、車で海に飛び込み自殺をさせようとしていた。 11月4日夕刻、E家父とE家母は、自殺を決意し、次女と尼崎市内のスーパーの駐車場に止めた車の中にいた。 並んで止めた車には、自殺を見届けるために主犯女XとTがいた。 そこへ、行方を捜していた兵庫県警が駆けつけ、間一髪のところで3人を保護した。 そして、主犯女XとE家父は、F家長女への傷害容疑で逮捕された。 裁判 F家母死亡・死体遺棄事件裁判 一審:裁判員裁判(初公判2013年9月25日~判決公判2013年10月31日) 2013年9月25日から2013年10月31日にかけての計13回にわたって、神戸地裁で、E家父、E家母、F家長女ら3名のF家母に対する傷害致死、監禁、死体遺棄罪などでの裁判員裁判が行われた。 裁判では、被告人が主犯女Xらから受けた暴力や虐待行為について、経緯や心情などが詳細に語られた。 弁護側は、事前に地裁が行った精神鑑定での「3被告は主犯女Xの影響で、善悪を判断する能力の喪失か著しい減退が認められる」とする結果を基に、3被告は心神喪失状態だったなどとして無罪を主張。 一方、検察側は、首謀者は主犯女Xで、3被告は従属的な立場だったが、自主的に判断して行動することもあるなど、心神喪失状態までは至っていなかった、などとして、E家父に懲役5年、E家母とF家長女に懲役4年を求刑した。 判決では、首謀者は主犯女Xであると認定し、3被告に被害者の一面があると指摘。 しかし、3被告は当時心神喪失状態だったとの弁護側の主張は退けられた。 そのうえで、それぞれに受けた暴力、虐待の程度や、主犯女Xに支配されるに至った経緯、F家長女の自首などが考慮され、E家父に懲役3年6月、E家母に懲役2年執行猶予3年、F家長女に懲役3年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。 3被告とも判決を不服として控訴した。 控訴審(初公判2014年7月2日~判決公判2014年10月3日) 2014年7月2日、同裁判の控訴審が大阪高裁で開かれ、一審と同様に、弁護側は犯行当時3被告は主犯女Xに支配され心神喪失状態であったとして、無罪を主張し、裁判は即日結審した。 10月3日の判決公判では、3被告ともに弁護側の無罪の主張は退けられ、F家長女とE家母の控訴は棄却されたが、E家父については、「3被告に主従関係はなく、目に見えて重い責任があるとは認められない」などとして一審の実刑判決を破棄し、懲役3年執行猶予5年に減刑した。 F家長女とE家母が判決を不服として上告した。 上告審(2015年10月13日付決定) 2015年10月13日付で、最高裁はF家長女とE家母ら2名の上告を棄却する決定を行い、これにより2名の一審判決が確定した。 主犯女Xの次男S被告裁判 一審:裁判員裁判 初公判2014年11月19日~判決公判2015年3月18日 2014年11月19日に主犯女Xの次男S被告の裁判員裁判の初公判が神戸地裁で開かれ、主犯女Xの次男Sは1件の死体遺棄罪だけを認め、2件の殺人罪などその他の罪については否認した。 裁判員在任期間は132日間に及んだ。 2015年3月18日、神戸地裁は全ての事件で有罪と認定し、懲役25年の求刑に対して懲役17年の判決を言い渡した。 検察側と弁護側共に控訴せず一審判決で確定した。 主犯女Xの同居人男性V被告裁判 一審:裁判員裁判(初公判2015年1月29日~判決公判2015年3月19日) 2015年1月29日に主犯女Xの同居人男性V被告の裁判員裁判の初公判が神戸地裁で開かれ、主犯女Xの同居人男性VはA家次男死亡・死体遺棄事件の起訴内容は認めたが、D家長女死亡・死体遺棄事件と主犯女Xの同居人女性U死亡・死体遺棄事件は「主犯女Xと共謀はしておらず、幇助にとどまる」などとして否認した。 2015年3月19日、神戸地裁は全ての事件で有罪として認定し、懲役20年の求刑に対して懲役15年の判決を言い渡した。 検察側と弁護側共に控訴せず一審判決で確定した。 主犯女Xの義理の妹P・主犯女Xの内縁の夫Q・主犯女Xの義理の長男R、3被告裁判 一審:裁判員裁判(初公判2015年5月13日~判決公判2015年9月16日) 2015年5月13日、主犯女Xの義理の妹P・主犯女Xの内縁の夫Q・主犯女Xの義理の長男Rら3被告の裁判員裁判の初公判が神戸地裁で開かれ、3名とも起訴された罪のいくつかは認めたが、3件の殺人罪についてはいずれも否認した。 2015年9月16日、神戸地裁は3被告ともA家次男死亡・死体遺棄事件の殺人罪については「数日で死亡する危険性の認識があったとはいえない」などとして傷害致死罪を適用したが、その他の罪については全て有罪と認定し、3被告ともに懲役30年の求刑に対して、懲役21年の判決を言い渡した。 裁判員在任期間は過去最長の140日間に及んだ。 主犯女Xの内縁の夫Q・主犯女Xの義理の長男Rの2名が判決を不服として控訴したが、後に主犯女Xの義理の長男Rは自ら控訴を取り下げた。 2018年6月20日に最高裁は主犯女Xの内縁の夫Qの上告を棄却した。 主犯女Xの義理のいとこ男性T被告裁判 一審:裁判員裁判(初公判2015年8月19日~判決公判2015年11月13日) 2015年5月13日、主犯女Xの義理のいとこ男性Tの裁判員裁判の初公判が神戸地裁で開かれ、主犯女Xの義理のいとこ男性Tは起訴された罪のいくつかは認めたが、3件の殺人や1件の傷害致死罪など大半について起訴内容を否認した。 2015年11月13日に開かれた判決公判で、「元被告に匹敵するほどの重要な役割を積極的に果たした」などとして無期懲役の求刑に対して、求刑通りの無期懲役の判決が言い渡された。 主犯女Xの義理のいとこ男性Tは判決を不服として控訴した。 2017年3月17日、大阪高裁は控訴を棄却し無期懲役判決を維持した。 D家次女被告裁判 一審:裁判員裁判(初公判2015年10月14日~判決公判2016年2月) 2015年10月14日、D家次女の裁判員裁判の初公判が神戸地裁で開かれ、D家次女は3件の殺人罪など大半について起訴内容を否認した。 2016年2月12日に開かれた判決公判で、「元被告に積極的に同調し、不可欠な役割を果たした」として求刑懲役30年に対して懲役23年判決が言い渡された。 警察対応問題 この一連の事件では、特に前述の3件の家族乗っ取り事件で、被害者やその親族、近隣住民など、合計約50件にものぼる警察への通報や相談があったが、その多くは、身内同士の金銭トラブルや暴行などの事案ということで、事件性がない、などとして適切な対応がとられることはなかった。 一連の事件発覚後にその点が問題視され、香川県警と兵庫県警が当時の警察対応について検証し、不適切なところもあったことを認め、関係者に謝罪している。 写真取り違え報道問題 一連の事件発覚後の2012年10月下旬、主犯女Xとする顔写真が複数のテレビや新聞雑誌などで報道されたが、後に別人だと判明し、謝罪や訂正が行われた。 その後、2012年11月7日に兵庫県警が主犯女Xの顔写真を報道各社に公開したが、その際の説明では「顔写真の公開によって、新たな被害申告や情報提供につながる可能性がある。 今回は例外的なケース」「間違って報じられた方への名誉の回復にもなると考えた」と、誤報道問題を写真公開した理由の一つに挙げている。 また、TBSではD家次女として事件と無関係の別人の顔写真を一時期報道していたことがあり、謝罪している。 主犯女Xの自殺 2012年12月12日午前6時20分頃、兵庫県警本部の留置所にて、主犯女Xが布団内で長袖Tシャツを首に巻きつけ、自殺を図っているのが発見され、病院に搬送後、死亡が確認された。 主犯女Xは、一連の事件が発覚した2012年10月以降、弁護団や留置係の警察官らに「生きていても意味がない」「死にたい。 どうすれば死ねるのか」などと自殺をほのめかす発言を複数回していたという。 逮捕後、主犯とされる容疑者が死亡したことにより、この事件の真相解明は極めて困難な状況になったと言える。 なお、主犯女Xの遺体を引き取る親族はおらず、2012年12月19日に神戸市によって火葬されている。 関連書籍• 一橋文哉『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』講談社。 脚注 注釈• 産経新聞. 2014年3月13日. の2014年3月25日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2014年2月17日. の2014年3月8日時点におけるアーカイブ。 読売新聞. 2012年11月7日. の2012年11月11日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2012年11月7日. の2012年11月10日時点におけるアーカイブ。 神戸新聞. 2012年10月26日• 読売新聞 2012年11月7日• 神戸新聞. 2013年5月14日• 朝日新聞 2013年11月30日• 産経新聞. 2013年3月25日. の2014年4月19日時点におけるアーカイブ。 2014年4月19日時点の [ ]よりアーカイブ。 2014年5月6日閲覧。 スポニチ 2012年11月10日• 神戸新聞 2012年11月10日• 読売新聞 2012年11月10日• 産経新聞: pp. 2015年11月13日. 2017年3月17日閲覧。 毎日新聞 2012年10月22日• 産経新聞. 2012年11月7日. の2012年11月10日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2012年11月7日. の2012年11月10日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2012年9月4日. の2012年12月9日時点におけるアーカイブ。 毎日新聞 2012年10月20日• 読売新聞. 2012年10月20日. の2012年10月27日時点におけるアーカイブ。 毎日新聞 2012年11月8日• 朝日新聞. 2014年2月17日. の2014年4月19日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2014年2月25日. の2014年3月25日時点におけるアーカイブ。 産経新聞. 2012年10月30日. の2012年11月2日時点におけるアーカイブ。 神戸新聞. 2012年11月22日• 産経新聞. 2012年12月1日. の2014年4月19日時点におけるアーカイブ。 朝日新聞 2013年1月17日 神戸地域紙面• 朝日新聞 2012年11月3日• 毎日新聞. 2013年4月24日. の2013年6月18日時点におけるアーカイブ。 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