キャシャーン が やら ねば 誰が やる。 「キャシャーンがやらねば誰がやるって、そんなこといわれてもさぁ」

キャシャーンがやらねば誰がやる?

キャシャーン が やら ねば 誰が やる

心が奮い立つ思いをしたものです。 たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の体 鉄の悪魔を叩いて砕く キャシャーンがやらねば 誰がやる! クーッ!カッコイイじゃないですか! なんだか自然と使命感に駆られるような感じです。 これってマインドコントロール? 父の発明により危機にさらされる人類。 ロボットを憎む人類を救うために、己がロボットとなり戦う重い宿命。 命がけで戦っても、誰も感謝はしない。 ロボットであるが故にルナの愛を受け入れることもできない。 子供向けアニメなのに悲壮感が漂っているじゃないですか! 凄い設定です。 絶句・・・・・・ でも、キャシャーンみたいな勧善懲悪を超えた、人間そのものの存在意義というか、根源的な愛を問う作品は幼児期に接する必要があるのでしょうね。 しかし、一昔前はこんなに真面目に、丹精こめて製作されたアニメが毎週テレビで放映されていたというのは驚きですね。 タツノコプロのアニメの真髄はリアルで緻密な動画ですね。 キャシャーンがひらひらと空中を舞うシーンは、ウットリと見惚れてしまうくらい優雅です。 キャシャーンがスワニーを抱きかかえて頬ずりするこの有名なポーズは泣けてきますね。 キャシャーンの「お母さん!」という叫びが聴こえてきそうです。 もう一回復唱。 キャシャーンがやらねば誰がやる!.

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ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!

キャシャーン が やら ねば 誰が やる

2004,日本 配給 松竹 スタッフ 監督・脚本・撮影・編集 プロデューサー 若林利明 脚本 菅正太郎、 美術 林田裕至 撮影 森下彰三 照明 渡部嘉 衣裳 音楽 主題歌 『誰かの願いが叶うころ』 キャスト 概要 が誇るSFヒーローアニメを原作とした実写化映画。 戦争や公害で荒廃した世界を舞台に、新造人間として生まれ変わった東鉄也が奮闘する。 終末へと向かう世界を止められるのか。 監督は本作で長編映画初監督となった、主題歌は監督の当時の妻であるが担当。 たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の身体 鉄の悪魔を叩いて砕く がやらねば誰がやる 風な世界観と派手なアクション、そして原作オマージュのナレーションで飾られた本作の予告編を見て、わりと心躍った人も多いのではないかと思う。 しかし、本編で描かれるのはとんでもないほど厭世的な物語で、そこには上記の口上のようなヒロイックな要素はほとんどない。 いや意識的に廃していると言ってもいいだろう。 ヒーローアニメ原作とは思えないほどの凄惨な展開には原作ファンのみならず面食らったに違いない。 原作アニメとは似ても似つかないほどに変更や脚色が施された本作の一般的な評価は、を受賞したりとあまり高くない。 ここからはネタバレもしていきます! ふと、そんな本作を見たくなって最近久しぶりに鑑賞したのだけど、相変わらずの体感時間の長さだなぁと再確認した。 たっぷり時間を使った演出が全編に散りばめられていて、どのシーンも切りたくないという監督の作品への愛を垣間見させる…と言えば聞こえはいいが、要所でくどいなぁと感じてしまったのも事実で、編集次第でもっとよくなったろうなと思う。 約2時間20分の上映時間で、主人公の東鉄也が50分経ってもにならないのはどうなのよとか、娯楽映画としてのバランスは歪で賞賛しづらい。 が、この映画を嫌いになれないのだ。 個々の要素はそれなりに楽しめたので、よくネットで見かけるような「クソ映画」と切り捨てるには惜しい作品だなと率直に思った。 まず、ビジュアルに関しては素直にすごいなと思う。 全編暗い色彩で見づらい場面は多々ありつつも、紛争地帯の場面などではマッチしているし、戦闘場面でのアニメ的なカット割りはかっこいい。 キャや美術もハマっているようにわたしには映った。 さすが写真家というべきか。 とりわけ、わたしが本作でおもしろく感じた要素はこの物語の悲劇性だ。 そしてその悲劇性がヒーローアニメ原作でありながらも、ヒーロー物のアンチテーゼを描き出すという倒錯した魅力を持たせている(先述した通り映画としては歪なバランスだけど…)。 物語の序盤で戦地に行った鉄也が戦死し、その魂が愛する人のもとを転々と訪れるのだけど、突如として父の士が新造細胞のプールに息子の鉄也を浸し始める。 結果、鉄也は再生するが、生き返る直前までその魂は「やめてくれ」と懇願し続けていた。 本作が、原作のように自ら平和のために志願し、雄々しく戦う者の英雄譚ではなく、望まない生を受け、運命に翻弄される者の悲劇であることを予感させる。 新たに生を受けて流浪するだが、彼の活躍が大局に影響を及ぼすことはほとんどない。 それどころか彼の決意や覚悟を嘲笑うかのように、運命の流転は彼を悲劇へと誘っていく。 ヒロイックな展開になりそうなフリを随所に散りばめながらも、それらをことごとく裏切っていく展開によって悲劇性に拍車をかける。 このことが印象的に描かれているのは、終盤、巨大時限爆弾(と思われるもの)を停止させようとが奮闘するシークエンスだ。 刻一刻と迫るカウントダウンの中で、恋人のルナに戻ってくることを約束したは、荒野を文字通りのたうち回りながら目標へと向かう。 辛くも時計の針にたどり着き、長針と短針を重ねさせまいと精いっぱいの力で止めようとするが、そのがんばりもあっけなく、針は零時に重なる。 その後、爆発は免れたが、 それも結局は、零時に重なったときにブライキングボスの根城が爆破されたからだった(厳密には説明がないから推測だけど)。 がどれだけがんばっても状況は勝手に転がっていく、そのあまりのあっけなさに鑑賞時には乾いた笑いが出るほどだった。 結局、力には力をというやり方ではさらに大きいに飲み込まれてしまうだけ、このことをとして新生した鉄也は何度も経験していくことになる。 戦争の主役は新造人間の長であるブライキングボスと国を代表する上条ミキオで、力を持っているはずの鉄也本人は大局を左右できる立場にもなければ、影響を与えることすらできなかった。 ヒーローとして完全無欠の力で悪をなぎ倒すどころか、鉄也がしてきたことは降りかかる火の粉を払うように、戦わざるを得ないから戦ったというだけなのだ。 憎しみやいきすぎた欲望のループ、その結果生まれた新造細胞、止められない戦争、終わりを迎えつつある世界。 全てに諦めを抱いた鉄也は最後にを選ぶ(鉄也自身の新造細胞の内圧を解放したからなのか突如爆発する)。 やはりこの場面もあっけない。 レビューのタイトルに絡めて総括しよう。 「がやらねばならなかったのか」と題して本作のレビューを綴ってきたが、内容を見ていくとこう言えるだろう。 「がやらざるを得なかった」と。 原作アニメでのOPナレーション「がやらねば誰がやる」は雄々しいほどに使命感に満ちあふれた口上だ。 しかし本作の鉄也の姿は、受動的に「やらざるを得ないからやった」だけだ。 言うなれば、原作アニメでは使命や信念など積極的な必然性が描かれるが、本作では力を持たされた者の消極的な必然性が描かれている。 そしてその姿は運命に抗おうとするも、流されてしまう悲劇として受け取ることができるのだ。 余談・雑記 ずいぶん前に、映画好きな先輩に「『』おすすめだよ」と言われて鑑賞したのを思い出して、改めて鑑賞しました。 どんな映画も見方次第なのかもなぁと、改めて思った次第です(個人のキャパやら好みはあるけども)。 その先輩のように、世間的な評価は低くとも心の琴線に触れた映画を魅力的に紹介できるようになるのが今の目標ですねぇ。 本作ですが、皮肉に皮肉を重ねるような作風はけっこう好きです(ヒーローアニメ原作でやることかという批判もありそうですが)。 ルナの父である上月博士が今わの際に「君が背負うべき運命はあまりに残酷だ。 しかし、これには意味があるはず。 絶対にあるはずなんだ。 」という言葉を残すんですが、最後まで見るととんでもなく空虚で、皮肉な言葉だなってのがよくわかります。 鉄也がほとんど大局に影響を与えられない中で奮闘する姿は滑稽にも映ってしまい、重苦しい展開で、メッセージも痛切なのにふと笑えてしまうようにも見えるのが、本作の皮肉さを増幅させてましたね(狙ってやったのかはわからないですが…)。 の「クローズアップで撮れば悲劇、ロングショットで撮れば喜劇」という言葉をなんかふと思い出したり。 あとは、ブライキングボス(作中で名前呼ばれないけど!)を演じるの熱演は見物です!立ち振る舞いもけっこうすきですが、とくに声の演技がかっこいいなと(さすがのウッディ!)。 予告でのOPナレーションの口上も様になってました! 今回は思い出深いタイトルのレビューという忘備録らしい記事ですね笑。 旧作のレビューもちょこちょこ上げていきたいなと思っています。 ということで、マミヤ()でした! それでは、また。 mamiya7.

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キャシャーンがやらねば誰がやる: 智にマニアック

キャシャーン が やら ねば 誰が やる

2004,日本 配給 松竹 スタッフ 監督・脚本・撮影・編集 プロデューサー 若林利明 脚本 菅正太郎、 美術 林田裕至 撮影 森下彰三 照明 渡部嘉 衣裳 音楽 主題歌 『誰かの願いが叶うころ』 キャスト 概要 が誇るSFヒーローアニメを原作とした実写化映画。 戦争や公害で荒廃した世界を舞台に、新造人間として生まれ変わった東鉄也が奮闘する。 終末へと向かう世界を止められるのか。 監督は本作で長編映画初監督となった、主題歌は監督の当時の妻であるが担当。 たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の身体 鉄の悪魔を叩いて砕く がやらねば誰がやる 風な世界観と派手なアクション、そして原作オマージュのナレーションで飾られた本作の予告編を見て、わりと心躍った人も多いのではないかと思う。 しかし、本編で描かれるのはとんでもないほど厭世的な物語で、そこには上記の口上のようなヒロイックな要素はほとんどない。 いや意識的に廃していると言ってもいいだろう。 ヒーローアニメ原作とは思えないほどの凄惨な展開には原作ファンのみならず面食らったに違いない。 原作アニメとは似ても似つかないほどに変更や脚色が施された本作の一般的な評価は、を受賞したりとあまり高くない。 ここからはネタバレもしていきます! ふと、そんな本作を見たくなって最近久しぶりに鑑賞したのだけど、相変わらずの体感時間の長さだなぁと再確認した。 たっぷり時間を使った演出が全編に散りばめられていて、どのシーンも切りたくないという監督の作品への愛を垣間見させる…と言えば聞こえはいいが、要所でくどいなぁと感じてしまったのも事実で、編集次第でもっとよくなったろうなと思う。 約2時間20分の上映時間で、主人公の東鉄也が50分経ってもにならないのはどうなのよとか、娯楽映画としてのバランスは歪で賞賛しづらい。 が、この映画を嫌いになれないのだ。 個々の要素はそれなりに楽しめたので、よくネットで見かけるような「クソ映画」と切り捨てるには惜しい作品だなと率直に思った。 まず、ビジュアルに関しては素直にすごいなと思う。 全編暗い色彩で見づらい場面は多々ありつつも、紛争地帯の場面などではマッチしているし、戦闘場面でのアニメ的なカット割りはかっこいい。 キャや美術もハマっているようにわたしには映った。 さすが写真家というべきか。 とりわけ、わたしが本作でおもしろく感じた要素はこの物語の悲劇性だ。 そしてその悲劇性がヒーローアニメ原作でありながらも、ヒーロー物のアンチテーゼを描き出すという倒錯した魅力を持たせている(先述した通り映画としては歪なバランスだけど…)。 物語の序盤で戦地に行った鉄也が戦死し、その魂が愛する人のもとを転々と訪れるのだけど、突如として父の士が新造細胞のプールに息子の鉄也を浸し始める。 結果、鉄也は再生するが、生き返る直前までその魂は「やめてくれ」と懇願し続けていた。 本作が、原作のように自ら平和のために志願し、雄々しく戦う者の英雄譚ではなく、望まない生を受け、運命に翻弄される者の悲劇であることを予感させる。 新たに生を受けて流浪するだが、彼の活躍が大局に影響を及ぼすことはほとんどない。 それどころか彼の決意や覚悟を嘲笑うかのように、運命の流転は彼を悲劇へと誘っていく。 ヒロイックな展開になりそうなフリを随所に散りばめながらも、それらをことごとく裏切っていく展開によって悲劇性に拍車をかける。 このことが印象的に描かれているのは、終盤、巨大時限爆弾(と思われるもの)を停止させようとが奮闘するシークエンスだ。 刻一刻と迫るカウントダウンの中で、恋人のルナに戻ってくることを約束したは、荒野を文字通りのたうち回りながら目標へと向かう。 辛くも時計の針にたどり着き、長針と短針を重ねさせまいと精いっぱいの力で止めようとするが、そのがんばりもあっけなく、針は零時に重なる。 その後、爆発は免れたが、 それも結局は、零時に重なったときにブライキングボスの根城が爆破されたからだった(厳密には説明がないから推測だけど)。 がどれだけがんばっても状況は勝手に転がっていく、そのあまりのあっけなさに鑑賞時には乾いた笑いが出るほどだった。 結局、力には力をというやり方ではさらに大きいに飲み込まれてしまうだけ、このことをとして新生した鉄也は何度も経験していくことになる。 戦争の主役は新造人間の長であるブライキングボスと国を代表する上条ミキオで、力を持っているはずの鉄也本人は大局を左右できる立場にもなければ、影響を与えることすらできなかった。 ヒーローとして完全無欠の力で悪をなぎ倒すどころか、鉄也がしてきたことは降りかかる火の粉を払うように、戦わざるを得ないから戦ったというだけなのだ。 憎しみやいきすぎた欲望のループ、その結果生まれた新造細胞、止められない戦争、終わりを迎えつつある世界。 全てに諦めを抱いた鉄也は最後にを選ぶ(鉄也自身の新造細胞の内圧を解放したからなのか突如爆発する)。 やはりこの場面もあっけない。 レビューのタイトルに絡めて総括しよう。 「がやらねばならなかったのか」と題して本作のレビューを綴ってきたが、内容を見ていくとこう言えるだろう。 「がやらざるを得なかった」と。 原作アニメでのOPナレーション「がやらねば誰がやる」は雄々しいほどに使命感に満ちあふれた口上だ。 しかし本作の鉄也の姿は、受動的に「やらざるを得ないからやった」だけだ。 言うなれば、原作アニメでは使命や信念など積極的な必然性が描かれるが、本作では力を持たされた者の消極的な必然性が描かれている。 そしてその姿は運命に抗おうとするも、流されてしまう悲劇として受け取ることができるのだ。 余談・雑記 ずいぶん前に、映画好きな先輩に「『』おすすめだよ」と言われて鑑賞したのを思い出して、改めて鑑賞しました。 どんな映画も見方次第なのかもなぁと、改めて思った次第です(個人のキャパやら好みはあるけども)。 その先輩のように、世間的な評価は低くとも心の琴線に触れた映画を魅力的に紹介できるようになるのが今の目標ですねぇ。 本作ですが、皮肉に皮肉を重ねるような作風はけっこう好きです(ヒーローアニメ原作でやることかという批判もありそうですが)。 ルナの父である上月博士が今わの際に「君が背負うべき運命はあまりに残酷だ。 しかし、これには意味があるはず。 絶対にあるはずなんだ。 」という言葉を残すんですが、最後まで見るととんでもなく空虚で、皮肉な言葉だなってのがよくわかります。 鉄也がほとんど大局に影響を与えられない中で奮闘する姿は滑稽にも映ってしまい、重苦しい展開で、メッセージも痛切なのにふと笑えてしまうようにも見えるのが、本作の皮肉さを増幅させてましたね(狙ってやったのかはわからないですが…)。 の「クローズアップで撮れば悲劇、ロングショットで撮れば喜劇」という言葉をなんかふと思い出したり。 あとは、ブライキングボス(作中で名前呼ばれないけど!)を演じるの熱演は見物です!立ち振る舞いもけっこうすきですが、とくに声の演技がかっこいいなと(さすがのウッディ!)。 予告でのOPナレーションの口上も様になってました! 今回は思い出深いタイトルのレビューという忘備録らしい記事ですね笑。 旧作のレビューもちょこちょこ上げていきたいなと思っています。 ということで、マミヤ()でした! それでは、また。 mamiya7.

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