安美 錦 力士 情報。 長谷川 力士情報

安芸錦 龍 力士情報

安美 錦 力士 情報

来歴 [ ] 先に安治川部屋へ入門していたは実兄で、大相撲史上16組目の兄弟関取である。 祖父は土地相撲でも活躍した元の力士で、師匠の伊勢ヶ濱親方(元・)は父の従兄弟(所謂、いとこ叔父)に当たる。 杉野森旅館(も行っていた) の次男として産まれ、修道小学校1年生で相撲クラブに入って3年生から本格的に相撲を始め、大戸瀬中学校やでは相撲部で活躍し、兄の安治川部屋入門時には「彼よりもっと強い弟がいる」と関係者に言われたほどだった。 高校時代の監督であった一戸琢哉はたびたび稽古の途中で中断を命じては「今なぜそうしたのか」と動きの意図を入念に問いかける指導方針で知られていた。 高校卒業後に、既に兄のが入門していた安治川部屋へ自身も入門した。 同郷の力士であるは小学校から高校の5年先輩で憧れの存在だった。 新弟子の頃は安治川の付き人を行っていた。 幕下時代の安美錦をが取材したところによると、その頃は1日80番の申し合いを行っていたという。 食事では他の力士のテーブルとは別のテーブルに一杯並べられたおかずと丼飯5杯を食べるように命じられたが、それらを平らげてもなお朝起きたら体重が減るほど稽古は厳しかった。 2000年1月場所に新十両へ昇進し、同年7月場所に新入幕を果たした。 新入幕の時点では幕内最年少・最軽量であった。 新入幕の場所となった7月場所では10勝5敗の好成績を挙げて初の敢闘賞を受賞した。 2002年3月場所には10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。 1月場所8日目には横綱・を初挑戦でで破り、自身初となるを獲得した。 その翌日に貴乃花はこの取組を最後に現役引退を表明したため、貴乃花の現役最後の対戦相手となった。 同年5月場所には11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。 翌7月場所には横綱・を破り2個目の金星を獲得した。 2005年9月場所には横綱・を破り3個目の金星を獲得した。 だが2003年7月場所11日目の戦で前十字靱帯と半月板を損傷する重傷を負い、翌日から休場。 この怪我は当時まだ小兵の範疇から抜け出していない体格であったことが原因で起こったとされており、師匠の伊勢ヶ濱も「早いうちから体をつくっておけば、あんなことは起きなかったかもしれない。 もったいない」と悔やんでいた。 医者からは即手術を勧められたが、手術すれば復帰まで半年を要することと「やってみたら意外にそこそこの相撲はとれた」と感じたことから敢えて手術せずに膝の周りを鍛え、怪我と付き合いながら戦い続ける道を選んだ。 2005年9月場所、朝青龍に勝利し3個目の金星。 2006年9月場所では11勝4敗の好成績を挙げて3回目の技能賞を受賞し、翌11月場所において新入幕から所要38場所で新へ昇進した。 この11月場所では兄である安壮富士も同時に幕内に昇進して、兄弟揃っての幕内力士となった。 2007年5月場所では朝青龍を破って4個目の金星を獲得し、9勝6敗と勝ち越しを果たして初の殊勲賞を受賞し 、西小結の位置で迎えた翌7月場所でも初日に朝青龍を破り、この場所で優勝した朝青龍に唯一の黒星を付けて、8勝7敗と勝ち越しを決めて2場所連続となる2回目の殊勲賞を受賞した。 翌9月場所において新入幕から所要43場所で関脇への昇進を果たし、その9月場所では・・に続き史上4人目となる新関脇の初日からの8連勝での勝ち越しを達成した。 新関脇で初日から8連勝した力士は過去に全員が大関以上に昇進しているが、このことに言及された際には「オレは確実に期待を裏切るね」と記者たちをはぐらかした。 その後9日目から5連敗したが、最終的に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。 翌11月場所でも8勝7敗と勝ち越しを決めたが、翌1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、平幕へ陥落した翌3月場所では横綱・を破り5個目の金星を獲得したものの6勝9敗と負け越した。 同年5月場所ではその場所で優勝した琴欧洲に唯一の黒星を付け 、10勝5敗の好成績を挙げて3回目の殊勲賞を受賞した。 同年9月場所では朝青龍を破って6個目の金星を獲得して8勝7敗と勝ち越しを決め、西小結へ復帰した翌11月場所では1横綱2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、4回目の殊勲賞を受賞した。 翌2009年1月場所では関脇へ復帰したものの、中日の朝青龍戦で古傷の右膝を負傷して途中休場した。 同年5月場所では朝青龍を破って7個目の金星を獲得したものの5勝10敗と大敗した。 続く7月場所では11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、2010年1月場所でも11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞した。 2012年5月場所では初日に白鵬を破り、その後3大関を倒す活躍で殊勲賞の候補に挙がったが、千秋楽の相撲でに敗れ、7勝8敗と負け越して受賞を逃した。 それからしばらくは平幕上位と三役を往復してきたが、2013年9月場所は9勝6敗の勝ち越しながら怪我で千秋楽を休場して不戦敗を喫した。 2007年に師匠の安治川親方がを伊勢ヶ濱に変更したのに伴い、年寄・安治川の名跡を取得。 2013年2月に絵莉夫人と婚約を発表、春場所後の4月に入籍。 子供は一男二女。 東前頭3枚目だった2014年5月場所は、新関脇だった2007年9月場所以来となる初日から4連勝を記録するなど好調で、最終的には10勝5敗の好成績を挙げた。 翌7月場所は東小結の地位で土俵に上がり、3勝12敗と振るわなかった。 千秋楽の打ち出し後、白鵬が部屋関係者の不手際により優勝パレードの旗手を手配されず困っていたところ、一門の関取である安美錦が名古屋市内にまだいたことでに駆けつけて大失態を免れるという珍事が発生した。 東前頭6枚目で迎えた次の9月場所は5日目からの8連勝もあり、最終的に10勝5敗の好成績と技能賞を手にした。 2015年3月場所は初日から7連勝と好調、9日目に勝ち越したが10日目の戦で膝を痛め途中休場した。 東前頭筆頭で迎えた2016年1月場所は3日目の戦で7年ぶり8個目の金星を獲得し、これが元関脇・寺尾(現・錣山)の89場所を抜いて昭和以降で最長となる新入幕から93場所目での金星となった。 しかしにより6日目から休場、中日から再出場するもこの場所は結局6勝8敗1休に終わって勝ち越しを逃した。 関取最年長37歳で迎えた5月場所2日目の栃ノ心戦で左を断裂し、3日目から休場することが決まった。 さらに翌場所も初日から全休した。 このため、同年9月場所では2004年11月場所以来約12年ぶりとなる十両へ陥落した。 関取連続在位100場所目を陥落した十両で迎えた安美錦であり、この場所は体の張りにも欠けて相撲ぶりも観衆から悲鳴が上がるなど安定していなかったが 、千秋楽に勝ち越しを決めて8勝7敗。 2017年3月場所と続く5月場所は終始十両優勝に加わっての9勝6敗。 特に後者に至っては千秋楽の戦を勝てば戦後最年長の十両優勝となるところであったが、取り直しの末に黒星。 この場所の相撲ぶりについてはスポーツ紙から「左右の動きが機敏になった」と評されている。 なお、5月場所13日目の戦で白星を収めたことで元関脇・に並ぶ歴代10位の通算822勝目を挙げたことになる。 4月29日、30日の2日間に渡って行われた「ニコニコ超会議場所 2017」では土俵下でを操作してに参加し、ファンサービスを行った。 7月場所自体は14日目の戦で反則勝ち(後述)を得る幸運もあって、10勝5敗と十両優勝次点の好成績を挙げた。 こうして再入幕の可能性をつかんだ安美錦は「自信にもなる二桁勝利。 番付(再入幕)は厳しいかな。 年齢は加味されないからね。 (幕内から)いっぱい落とせばいいのに。 年寄り2人(妙義龍も十両4枚目で10勝)が勝ってるんだから。 若い人はこれからもチャンスあるんだから。 より話題になるよ」と訴えた。 結局、十両の好成績者が多かったことと幕内からの陥落者が少なかったことが重なり、本人が前掲コメントで予想した通り10勝を挙げながら9月場所は僅か2枚半しか番付が上がらなかった。 東十両2枚目で迎えた9月場所は、3日目に久しぶりの幕内の土俵で德勝龍を破るなど、初日から3連勝と好調の滑り出しを見せた。 最終的に10勝5敗と二桁白星を挙げて、十両のに進出した。 進出者は自身も含めて4人で、中には同部屋のもいたが、トーナメント形式の1回戦でに敗れて、十両優勝を逃した。 10月8日の秋巡業富士場所の十両の申し合いでは相手を力士を翻弄し、10番取って7勝3敗であった。 10月3日に39歳の誕生日を迎えて10月30日に発表された11月場所の番付では、西前頭13枚目となり、8場所ぶりに幕内に復帰した。 39歳0ヶ月での再入幕は、の記録(38歳6ヶ月)を更新する、昭和以降で最年長の記録となった。 最年長再入幕を達成した安美錦は「3人目(の子供)が相撲をわかるまで取れたらいいなと…。 そこまで、いったいいくつになっちゃうんだろう」と笑顔もみせた。 幕内に復帰したことで、横綱・日馬富士の露払いを久々に務め 、11月場所では初日から5連勝とした。 中盤以降負けが込んだが、千秋楽に勝ち越しを決めて、8勝7敗で新入幕だった2000年7月場所以来、103場所ぶり自身2度目の敢闘賞を受賞した。 この敢闘賞は、この場所を入院中のため休場した二所ノ関審判部長の代理を務めていた師匠の伊勢ヶ濱が、「この年齢でよく頑張った」という理由で三賞選考委員会で自ら候補に名を挙げ、過半数の賛成を得て受賞が決定したものだった。 幕内では2015年11月場所以来、2年ぶりの勝ち越しとなったことで、千秋楽の取組後には涙を流して喜んだ。 靖国神社奉納大相撲 安美錦関の相手は旭日松関(2017年4月17日撮影) 2018年1月場所は1勝3敗で5日目の取組で敗れた際に「ゴリゴリといった」と膝を痛め、師匠は「靭帯ではなくヒビが入っていた」と説明。 6日目から「右脛骨(けいこつ)骨挫傷、右膝関節血症により約2週間の安静を要する見込み」との診断書を提出し、2016年7月場所以来10度目の休場。 戦は不戦敗。 炎症が治まれば再出場すると言っていた が10日目から実際に強行出場した。 13日目まで連敗してしまうが13日目に白星。 この場所は3勝9敗3休になった。 再び十両に番付を下げた3月場所は、初日から4連敗を喫するなど出だし不調だったが、中日以降を6勝1敗と持ち直して千秋楽に勝ち越しを決めた。 5月場所は39歳6ヶ月で再入幕となり、自身の持つ昭和以降で最高齢の再入幕記録を更新した。 2019年3月場所千秋楽の白星で史上8人目となる通算900勝を達成。 2019年7月場所は西十両11枚目の地位だったが初日から2連敗し、さらに2日目の竜虎戦で右膝を痛め休場。 状態を見て再出場も視野に入れていたが回復が遅れ、幕下陥落が決定的になり10日目の16日に現役引退を発表。 当初は同日中に引退届を提出する予定 であったが、手続上の理由により同日には提出されなかった。 翌17日、現役引退と年寄・安治川襲名が正式に承認された。 承認が取組終了後であったため、11日目は休場扱いとなった。 引退会見では涙を見せず、「すっきりしている。 悔いはまったくない」と断言した。 思い出の取組としては2017年11月場所千秋楽の敢闘賞を受賞した一番である千代翔馬戦を挙げた。 安美錦の引退により、20世紀に関取昇進、入幕を果たした力士、なおかつ貴乃花・武蔵丸の両横綱と対戦した力士は全員が土俵を去った。 2020年5月31日、出身地の青森県深浦町が安治川と父親 元青森県相撲連盟会長、元東北相撲競技会副会長 の功績を称え、功労褒賞を贈ったことが分かった。 略歴 [ ]• 1997年1月場所 - 初土俵• 2000年1月場所 - 新十両• 2000年7月場所 - 新入幕• 2006年11月場所 - 新小結• 2007年9月場所 - 新関脇• 2015年9月場所 - 、の引退により、関取最年長になる• 2019年7月場所 - 11日目に引退• 2020年10月4日 - 断髪式(予定) 取り口・取組に関するエピソード [ ]• 長年に渡って右膝が不調であり「申し合いは1日10番が限界」であることも関係して三役では勝ち越しが厳しい状況ではあるが、膝の調子さえ良ければ三役でも十分な成績を残せる力士であり、大相撲解説者のは「右膝の怪我さえ無ければ間違いなく大関になっている」と高く評価している。 しかし本人は2015年3月のインタビューでNHKアナウンサー・に対して「怪我をしていなかったらもう相撲を辞めているのではないでしょうか。 怪我をするまではそこまで考えて取っていなかったです。 怪我をしてからどんどん上に上がりました」と語っている。 基本的には右四つでの相撲だが、相手をから崩すことも得意で、時に応じて立合いからのど輪で一気に攻める押し相撲を見せたり、足を掛けるなどの小技も見せるといった多彩な相撲を取る。 3月場所の戦では、「」という珍しい決まり手で濱錦を破った。 しかし本人曰く「がっぷりと組めるわけじゃないし、頭をつけてあとは差すだけ」という。 相手に力を出させないで取るのが根本であり、自分の相撲を取ろうと思うことはそんなに多くないという。 安美錦の取り口の変化については2014年3月場所前の座談会で「昔は技巧派だったのにベテランになるにつれて前に出る力が増した珍しいパターン」と説明しており、同じ座談会に参加していた元は「もともと巧いが体重が増えて押し相撲になってきた。 相撲の幅が広がったことが、この年でも幕内上位で取れる要因ではないのか」と分析していた。 2014年11月場所前の座談会で元のは「今は完全な押し相撲」と取り口を評している。 2009年9月場所12日目の『どすこいFM』では解説を務めていた錣山(元関脇・)は「普通の力士は立ち合い考えてしまうと、一歩遅れるんですよ。 安美錦は考えて立っても、その通りに身体を動かせられるんです。 それが凄い」と評していた。 本人も「膝が悪いから稽古や本場所で相撲の組み立てを考えて質を高め、自分の考えたことができたか、やろうとしたかを大事にしている」と自覚しており、高校時代の恩師の指導に従っている。 2010年からは特注のカーボン製の装具をつけて土俵に上がっている。 「これに出合っていなければもう引退している」という軽量の装具のおかげで膝の横ブレがなくなり、不安は軽減された。 2017年5月場所13日目の貴源治戦。 仕切りから呼吸が合わず、迎えた3度目の立合い。 突っ張られて1度は徳俵に左足がかかった。 それでも我慢して右四つに組むと、貴源治のあごの下に頭を差し込む。 「頭をつけて相撲を取るなんて、稽古場でもしていないのにね。 なんであんな相撲が取れたのかな」と安美錦は振り返る。 止まらず攻め、相手の上手投げをこらえ、最後は引き込みながらの下手投げで一瞬早く、相手を転がした。 取組後「感覚的には分からなかった。 (土俵下で)パッと見たら、目の前に(の)の塙さんがいたから、つい『勝った? 』と聞いちゃった。 『勝った』と言うけど、本当かなと思って土俵に上がったよ。 向こうもビックリしたんじゃない」と笑わせた。 その上で、18歳年下の若手には「お互いに(力を)出し合って、いい相撲が取れたね」と健闘をたたえ合った。 俗に言う「上位キラー」として存在感を示しており、しばしば横綱・大関戦で活躍を見せる。 特に琴欧洲には不戦勝も含めて6連勝したこともあった。 連勝が止まってからも琴欧洲には相性が良く、通算で19勝16敗と勝ち越している。 また朝青龍との対戦成績は6勝17敗(内不戦勝1)だが、そのうち4勝が金星であり、これは朝青龍が個人あたりに配給した金星では最多であった。 多彩な技で上位を苦しめるため、好角家にはしばしば ゼニの取れる相撲が取れる力士と評される。 2017年7月場所14日目大奄美戦では髷掴みによる反則勝ちを得たが、その際には「髪の毛、どうしてくれるんだよ。 少ない髪の毛をつかむかよ。 この(髪の)量で反則勝ちするのも、なんか申し訳ないな。 初めての勝負結果だね。 今までないよ、つかむところがないんだから…」とコメントしている。 同じ青森県出身で、実家が共に沿線と比較的近い場所にある(現・東関)には非常に相性が良く、初顔で安美錦が負けた後、2007年5月場所の中日での対戦で敗れるまで、対高見盛戦には11連勝した。 なお、2005年11月場所中日の高見盛戦では、高見盛をという珍しい決まり手で破った。 この決まり手は1月に技が追加されてから幕内で初の快挙である。 逆にには6勝18敗と相性が悪く、11月場所までは15戦全敗と1度も勝利していなかった。 2008年1月場所に初めて勝利してからは、同年9月場所と続く11月場所では変化して2連勝したが、続く2009年1月場所は変化を読まれて敗れた。 その後は千代大海の衰えもあり、初勝利を挙げてからは5勝3敗と勝ち越した。 他にもに8勝19敗、に8勝18敗と大きく負け越すなどベテランの日本人大関には相性が悪かった。 名古屋場所は験が悪く、十両昇進以降の20場所で勝ち越しは7場所にとどまる。 2010年以降負け越しが続き、2016年は夏場所でのアキレス腱断裂のため全休 した。 引退も2019年の名古屋場所中で、ケガが理由だった。 生涯に獲得した金星8個の内6個は負け越した場所で獲得したものである。 そのため「横綱に勝つと負け越す」というジンクスもついてまわった。 その他 [ ]• 対貴乃花戦の懸賞袋を友人でもあるに寄贈した。 やくは、その懸賞袋を『』に鑑定に出した際、安美錦のことを「うちの手の者」と呼んでいた。 『』におけるコーナー「からくりビデオレター」に、安美錦の両親が2度も出演している。 1度目は入門当初で、2度目は入幕したときだった。 しかも2度目の入幕時には、父親が「横綱・貴乃花を最後に倒して引退させた」ことを、に自慢するという内容のものであった。 2度目のときは兄弟も揃って出演している。 好きな歌手は。 「男らしい」という点が理由である。 2007年2月の福祉大相撲では『』を披露した。 またに出演する際もリクエストを受けることがあり、『』でもで同曲を披露した。 アキレス腱断裂の怪我を負ってしばらくした頃にはの曲をよく聴き、一番聴いていたのは『情熱の薔薇』であった。 気持ちがふさぎ込んでいた時、妻が「歌でも聴きなさい」と勧めたことにより、この曲を聴くに至った。 インタビュールームでは冗談を言うことも多い。 横綱を破って会場で座布団が大量に舞ったことを指して「座布団なくなるんじゃないかな」と言ったほか、2日続けてインタビューを受けた際に両日とも担当がアナウンサーだったことから「(勝利の秘訣は)三瓶さんですね」などと言って笑わせた。 だが膝が重症化してからはユーモアを控えてシリアスな発言に終始するようになり、囲み取材を自ら切り上げることが常態化した。 それでも「場所前は相撲が取れる状況ではなかった」と自ら語る中で迎えた2014年9月場所では活躍を果たし、インタビュールームに呼ばれた際には往年のユーモアと明るさが戻っていた。 2008年秋の巡業では、ちびっこ大相撲にてちびっこ力士の後ろ廻しを掴むなり、客席に向かって人差し指を回してみせてから、その後自らが目を回して転がってしまうパフォーマンスを見せた。 その後も千鳥足で仕切りをしたり、前にペットボトルのを飲んでみせるなどした。 近年ではに熱中しており、本人曰く「ひどい時は毎日が届いている。 これでも我慢しているんだけどね」とのことである。 若い頃はを食べないなど偏ったをしていたが、結婚してから食生活が改善されたという。 2016年2月25日放送の「」 に出演。 俳句の才能査定ランキングで第2位 凡人 となる。 お題は『菜の花列車』で、安美錦が詠んだ句は「君恋し菜の花越しの汽車を待つ」。 のは『お題の写真の中の少女が、菜の花のなかで電車に乗ってやってくる想い人を待つ』という安美錦の意図を聞き、その人が菜の花の彼方からやってくるという描写にするため『菜の花越し』を『菜の花を来る』にすると才能アリになるはずの句であると評価した。 2017年11月場所には「幕内に戻ったら懸ける」と予てより約束していたからの懸賞金を懸けてもらった。 2017年の夏巡業中に書いたの記事に使う絵日記として、夏巡業があるため海へ子供を連れて行ってやれないことを気にしてか、同年7月6日に生まれた第3子の長男と寝ながら海の夢を見ている絵を描いた。 「せっかくの夏休みなのに、巡業で子どもたちと出かけられないからね。 どこにも行けなかったから申し訳なくて、せめて海に行っている夢を子どもと一緒に昼寝しながら見ようと」とその意図を語りつつ「いや、巡業を休めば行けるよ」と軽口を出した。 自身の引退に際しては「くせ者という言い方は悪いかもしれないけど、本当に強い力士。 前半戦で安美関に勝たないと優勝争い、勝ち越しが見えてこなかった」と現役時代の実力を称賛し、さらに「アニキ肌。 本当に心のある力士だった」と人間性を評した。 2020年3月場所中、折からの流行の影響で自身のの宣伝が遠慮がちになっている様子が報じられた。 仮に3月場所が通常開催なら観客にPRのチラシを配っていたところであったが、無観客場所となったためこれは取りやめになった。 主な成績 [ ] 通算成績 [ ]• 通算成績:907勝908敗55休 勝率. 500• 幕内成績:678勝730敗47休 勝率. 482• 現役在位:135場所• 幕内在位:97場所• 三役在位:15場所(関脇6場所、小結9場所)• 関取在位:117場所(と並び歴代1位) 三賞・金星 [ ]• 三賞:12回• 殊勲賞:4回(2007年5月場所、2007年7月場所、2008年5月場所、2008年11月場所)• 敢闘賞:2回(2000年7月場所、2017年11月場所)• 技能賞:6回(2002年3月場所、2003年5月場所、2006年9月場所、2009年7月場所、2010年1月場所、2014年9月場所)• 金星:8個• 貴乃花1個、武蔵丸1個、朝青龍4個、白鵬1個、鶴竜1個• 稀勢の里からの勝利経験はあるが、彼が横綱在位に対戦したことはなく、金星獲得もない。 横綱・には4勝37敗。 白鵬の大関在位中は1勝2敗。 白鵬の横綱昇進後は3勝33敗。 最後の白星は2012年5月場所で、決まり手は押し出し。 横綱・には15勝17敗。 鶴竜の大関在位中は3勝6敗。 鶴竜の横綱昇進後は1勝4敗。 最後の勝利は2016年1月場所で、決まり手は押し出し。 大関・には9勝2敗。 髙安の大関昇進後は対戦なし。 最後の勝利は2014年11月場所で、決まり手は押し出し。 大関・には10勝10敗。 栃ノ心の大関昇進後は対戦なし。 最後の勝利は2016年1月場所で、決まり手はうっちゃり。 元大関・には19勝30敗。 琴奨菊の大関在位中は8勝12敗。 最後の勝利は2015年5月場所で、決まり手は叩き込み。 元横綱・には1勝。 2003年1月場所で初対戦し自身初金星を獲得した。• 元横綱・には1勝2敗。 2003年7月場所で金星を獲得した。 元横綱・には6勝17敗(うち不戦勝による1勝を含む)。 朝青龍の大関在位中は1敗。 朝青龍の横綱昇進後は6勝13敗(うち不戦勝による1勝を含む)。 2005年9月場所、2007年5月場所、2008年9月場所、2009年5月場所で、計4個の金星を獲得した。 元横綱・には17勝31敗。 稀勢の里の大関在位中は5勝14敗。 稀勢の里の横綱昇進後は対戦が無かった。 元大関・とは、貴ノ浪の大関陥落後に対戦して3勝6敗だった。 元大関・には3勝3敗。 元大関・には3勝4敗。 元大関・とは、出島の大関陥落後に対戦して11勝9敗だった。 元大関・には6勝18敗。 2002年5月場所の初対戦から15連敗を喫していたが、16回目の対戦となった2008年1月場所で初めて勝利し、同場所以降に限れば6勝3敗と勝ち越している。 元大関・には8勝19敗。 琴光喜の大関昇進後は7勝8敗。 元大関・には8勝18敗。 2011年7月場所の対戦は、魁皇の現役最後の白星となった。 元大関・とは、雅山の大関陥落後に対戦して13勝11敗。 元大関・には7勝16敗。 把瑠都の大関在位中は3勝8敗。 元大関・には19勝18敗(うち不戦勝による1勝を含む)と互角。 琴欧洲の大関在位中も18勝17敗(うち不戦勝による1勝を含む)と互角。 2008年5月場所では、14勝1敗で優勝した琴欧洲に唯一の土を付けた。 元大関・には13勝21敗(うち不戦敗による1敗を含む)。 豪栄道の大関昇進後は1勝6敗(うち不戦勝による1勝を含む)。 最後の勝利は2014年11月場所で、決まり手は叩き込み。 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 関脇 5 10 4 4 16 4 6 3 4 10 1 4 7 8 1 9 7 1 18 10 1 2 6 3 3 0 2 1 4 5 8 18 16 3 12 6 11 2 5 1 1 5 5 9 26 2 8 7 19 21 2 3 5 9 5 11 11 4 9 12 小結 6 4 3 1 0 2 6 8 5 3 8 5 10 6 8 7 5 3 2 1 11 5 7 1 13 5 3 3 3 1 2 1 4 7 17 6 3 1 4 3 0 2 1 8 5 8 7 1 0 7 3 4 0 4 3 前頭 2 0 1 1 6 4 1 0 1 1 1 2 0 1 2 2 9 5 2 3 1 0 1 0 3 2 6 0 0 1 3 2 8 6 1 0 1 3 0 0 1 6 3 0 2 3 2 2 3 1 0 4 3 1 0 1 0 7 8 1 2 0 2 2 2 1 1 1 2 1 2 0 1 0 2 1 1 2 0 0 2 2 0 3 1 1 1 0 1 1 1 8 10 2 1 2 0 7 1 4 3 3 2 1 8 4 1 2 1 1 5 0 0 2 1 1 3 1 3 2 1 6 5 1 0 2 0 1 1 1 1 1 0 1 0 1 0 1 0 0 1 1 0 1 1• 四股名の『美』の由来について、相撲記者の佐々木一郎は、安美錦本人は真顔で「顔だよ」と答えたが「冗談半分(?)だったと思う」、とツイッターで述べている。 1:35 - 2012年10月18日• しかし、安壮富士は2場所で十両に陥落している。 横綱に勝った場所で勝ち越したのは初めてだった。 右足首関節捻挫により14日目から途中休場• 右膝半月板損傷により12日目から途中休場• 右膝外側半月板損傷により9日目から途中休場• 右膝内側側副靭帯損傷により13日目から休場• 左膝内側半月板損傷により千秋楽不戦敗• インフルエンザにより6日目から休場、中日から再出場• 左アキレス腱断裂により3日目から休場• 左アキレス腱断裂により全休• 4人による十両優勝決定戦進出(トーナメント形式の1回戦で敗退)• 右脛骨骨挫傷、右膝関節血症により6日目から休場。 10日目から再出場• 右膝前十字靱帯損傷、内側半月板断裂、外側半月板損傷、大腿骨外顎軟骨損傷、頸骨後顆骨挫傷のため3日目から休場、11日目に引退 出典 [ ]• せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』16pから17p• 『相撲』2012年3月号 徹底解剖! 私のチカラの源 第7回• Sponichi Annex 2014年7月28日 05:45• nikkansports. com 2014年9月28日20時27分• Sponichi Annex 2016年1月13日 05:30• Sponichi Annex スポーツニッポン新聞社. 2016年5月10日. 2016年5月10日閲覧。 『大相撲ジャーナル』2016年11月号12ページから13ページ• 産経ニュース 2016. 2 14:00• COM 2017. 28 14:50• 日刊スポーツ 2017年5月26日15時56分• 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p45• デイリースポーツ 2017. 『大相撲ジャーナル』2017年12月号 p10• 朝日新聞. 2017年10月30日. 2017年10月30日閲覧。 『大相撲中継』2017年11月18日号 p. SANSPO. COM 2017. 30 11:22(2017年11月5日閲覧)• 日刊スポーツ. 2017年11月3日. 2017年11月26日閲覧。 SANSPO. COM. 2017年11月17日. 2017年11月26日閲覧。 日刊スポーツ. 2017年11月26日. 2017年11月26日閲覧。 刊 『』 2017年12月号(九州場所総決算号) 6頁• 日刊スポーツ. 2017年11月27日. 2017年11月30日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年4月30日. 2018年4月30日閲覧。 2019年3月24日16時2分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月24日閲覧)• nikkansports. com. 2019年7月16日閲覧。 nikkansports. com. 2019年7月16日閲覧。 河北新報. 2019年7月17日閲覧。 読売新聞オンライン. 2019年7月17日閲覧。 日刊スポーツ 2019年7月18日22時57分(2019年9月8日閲覧)• nikkansports. com 2020年5月31日. 2020年6月2日閲覧。 Web東奥 2020年6月1日. 2020年6月2日閲覧。 2012年7月場所千秋楽の()の番組内にて言及。 その後も度々同じ趣旨の指摘をしている。 『大相撲ジャーナル』2014年4月号63頁• 『大相撲ジャーナル』2014年12月号59頁• 日刊スポーツ 2017年7月22日18時57分• Business Journal 2019. 24(2019年9月9日閲覧)• 『大相撲ジャーナル』2014年12月号81頁• 日刊スポーツ 2017年11月22日• 日刊スポーツ 2018年4月10日閲覧• 日刊スポーツ 2019年7月16日14時46分(2019年12月17日閲覧)• 日刊スポーツ 2020年3月20日9時30分(2020年3月20日閲覧)• 2007年9月23日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 日本相撲協会• - 公式ブログ• - 旧・公式ブログ(2014年10月まで更新).

次の

設計情報中心 Design Information Centre

安美 錦 力士 情報

来歴 [ ] 仙南中学校時代に相撲部に入部し、(平成5年)の全国都道府県中学生相撲選手権大会、全国中学校相撲選手権大会では団体ベスト8、個人でもベスト8に入っている。 時代には国体にも出場している。 に進学し、大学4年次には主将として全国学生選手権(インカレ)団体優勝を果たした。 この大会の決勝では率いるを破った。 後に当時のこの大会の様子を「団体戦はみんなで盛り上がって楽しむという雰囲気があります。 自分の時は4年が1人で、大丈夫だから俺のところまで持って来いと言ったら、準決勝とか決勝は本当に大将まで回ってきました(笑)」と述懐している。 大学3年生の頃までは大相撲入りを決断し切れずにいたが、気弱で内向的な性格の高見盛が大相撲に順応して番付を駆け上がっていった様子を見て高見盛と同じ東関部屋への入門を志すようになる。 東洋大卒業後の5月場所において部屋で初土俵を踏み、翌年7月場所にいきなり優勝を果たす。 その後も順調に出世し、わずか1年余りでに昇進した。 7月場所では自己最高位の東幕下14枚目に番付を上げたものの1勝6敗と負け越し、それ以降は休場の影響から三段目への陥落もあったものの主に幕下中位から下位に定着していた。 5月技量審査場所で西幕下3枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において新十両へ昇進した。 32歳9ヶ月での新十両は戦後3位となる年長昇進記録で、学生相撲出身では戦後最年長での新十両記録、初土俵から所要60場所での新十両も学生相撲出身力士では史上1位のスロー出世記録となった。 秋田県出身の新関取も2003年3月場所の以来丸8年ぶりであった。 その7月場所は6勝9敗と負け越し、翌9月場所では右膝損傷のために6日目から休場し、8日目には再出場したものの、9日目のとの取組で負傷を悪化させて10日目から再び休場した。 その後幕下上位で相撲を取り続けていたが、2013年1月場所を最後に部屋の関取であるが引退し、入門以来初の部屋頭の地位に就くことになる。 しかしこれ以降は番付を落としていき、2016年1月場所では三段目に陥落した。 40歳が迫ってからは幕下と三段目の往復が続いており、9月場所を最後に幕下では勝ち越せていない。 エピソード [ ]• 四股名「華王錦」は高見盛に中華料理屋へ連れて行ってもらった際にヒントを得て命名したという説がある。 新十両昇進会見は祖母の86歳の誕生日でもあり、祖母への誕生日プレゼントとして悲願の関取を果たした当の華王錦本人は32歳でありながら年甲斐も無く「自分はおばあちゃんっ子」と話した様子が話題になった。 主な成績 [ ] 2020年3月場所終了現在• 通算成績:391勝371敗38休(113場所)• 序ノ口優勝:1回(2001年7月場所) 改名歴 [ ]• 村田 武志(むらた たけし)2001年7月場所~2003年7月場所• 華王錦 武志(かおうにしき-)2003年9月場所~ 脚注 [ ] [].

次の

安 美錦

安美 錦 力士 情報

来歴 [ ] 仙南中学校時代に相撲部に入部し、(平成5年)の全国都道府県中学生相撲選手権大会、全国中学校相撲選手権大会では団体ベスト8、個人でもベスト8に入っている。 時代には国体にも出場している。 に進学し、大学4年次には主将として全国学生選手権(インカレ)団体優勝を果たした。 この大会の決勝では率いるを破った。 後に当時のこの大会の様子を「団体戦はみんなで盛り上がって楽しむという雰囲気があります。 自分の時は4年が1人で、大丈夫だから俺のところまで持って来いと言ったら、準決勝とか決勝は本当に大将まで回ってきました(笑)」と述懐している。 大学3年生の頃までは大相撲入りを決断し切れずにいたが、気弱で内向的な性格の高見盛が大相撲に順応して番付を駆け上がっていった様子を見て高見盛と同じ東関部屋への入門を志すようになる。 東洋大卒業後の5月場所において部屋で初土俵を踏み、翌年7月場所にいきなり優勝を果たす。 その後も順調に出世し、わずか1年余りでに昇進した。 7月場所では自己最高位の東幕下14枚目に番付を上げたものの1勝6敗と負け越し、それ以降は休場の影響から三段目への陥落もあったものの主に幕下中位から下位に定着していた。 5月技量審査場所で西幕下3枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において新十両へ昇進した。 32歳9ヶ月での新十両は戦後3位となる年長昇進記録で、学生相撲出身では戦後最年長での新十両記録、初土俵から所要60場所での新十両も学生相撲出身力士では史上1位のスロー出世記録となった。 秋田県出身の新関取も2003年3月場所の以来丸8年ぶりであった。 その7月場所は6勝9敗と負け越し、翌9月場所では右膝損傷のために6日目から休場し、8日目には再出場したものの、9日目のとの取組で負傷を悪化させて10日目から再び休場した。 その後幕下上位で相撲を取り続けていたが、2013年1月場所を最後に部屋の関取であるが引退し、入門以来初の部屋頭の地位に就くことになる。 しかしこれ以降は番付を落としていき、2016年1月場所では三段目に陥落した。 40歳が迫ってからは幕下と三段目の往復が続いており、9月場所を最後に幕下では勝ち越せていない。 エピソード [ ]• 四股名「華王錦」は高見盛に中華料理屋へ連れて行ってもらった際にヒントを得て命名したという説がある。 新十両昇進会見は祖母の86歳の誕生日でもあり、祖母への誕生日プレゼントとして悲願の関取を果たした当の華王錦本人は32歳でありながら年甲斐も無く「自分はおばあちゃんっ子」と話した様子が話題になった。 主な成績 [ ] 2020年3月場所終了現在• 通算成績:391勝371敗38休(113場所)• 序ノ口優勝:1回(2001年7月場所) 改名歴 [ ]• 村田 武志(むらた たけし)2001年7月場所~2003年7月場所• 華王錦 武志(かおうにしき-)2003年9月場所~ 脚注 [ ] [].

次の